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2013年 5月 1日発行 No539 

イエスの霊・神の息吹なる聖霊

                            金田 佐久子

 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。(ヨハネ16・7)

  復活節から聖霊降臨節へ
 今年の復活日(イースター)は3月31日でした。主イエス・キリストが罪と死の力に打ち勝ち復活されたこと、それによって神の愛が勝利したことを喜びました。イースター礼拝の後の愛餐会では、主がわたしたち一人ひとりにしてくださった良き御業を互いに分かち合い、神に感謝を表しました。
復活節の日々の中、教会は聖霊降臨日(ペンテコステ)へと向かう歩みを進めていきます。キリストの昇天を覚える昇天日は5月9日、そして聖霊降臨日は10日後の5月19日です。
 弟子たちを核にした祈る人々の群れに、イエスが約束された聖霊が降りました。聖霊を受けた人々は「イエスは主である。イエスはキリストである」との福音宣教へと押し出されました。その聖霊のお働きは今に至るまで続いています。
 ペンテコステ礼拝は聖霊降臨の出来事を記念すると共に、今も生きて働く聖霊の御業を賛美する礼拝です。

  イエスのようになるため
 主イエスは、十字架に引き渡される前の夜、弟子たちに、ご自分が去って行くと語られました。弟子たちはこれから何が起こるかを悟ることができず、イエスの言葉を聞いて心は悲しみで満たされていました。そんな弟子たちにイエスは言われました。「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる」。これには弟子たちは驚いたと思うのです。こんなに悲しんでいるのに、それをイエスもご存じなのに、イエスが去って行かれることは弟子たちにとって益であるというのです。いったいそれはどういうことなのでしょう。
 イエスが去って行かれたのは、わたしたちがイエスのようになれるようにとの、黙想の言葉に出会いました。どうぞ味わってみてください。
 “神はイエスにおいて、わたしたちの一人となりました。神の聖なる命の親しさへわたしたちを導くためです。イエスは、わたしたちのようになるために来てくださいました。また、わたしたちもイエスのようになれるようにと、わたしたちのもとを去りました。そして、イエスの霊である聖霊をわたしたちに与えることで、イエスはわたしたちよりもわたしたちに近いものとなりました。
 この神の息吹を通してわたしたちは神を「アバ、父よ」と呼べるようになり、父と子との間の神秘的な聖なる関係にあずかることができるのです。”
 (ヘンリ・ナウエン著「ナウエンと読む福音書」より)
 弟子たちの悲しみはイエスを失う恐れからくるものでした。十字架と復活の出来事の後、弟子たちは約束の聖霊を待ち、祈りました。聖霊は弟子たちに降り、イエスは聖霊として臨在する最も近いお方となられました。なんという神のご計画であり、大きな慈しみでしょう。この霊によってわたしたちは「アッバ、父よ」と呼ぶのです(ローマ8・15)。
 こうして、聖霊を受けたわたしたちは神の子とされ、神を「父よ」と呼ぶことができるのです。この恵みはすべての人に備えられています。ハレルヤ。

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