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2013年 6月 1日発行 No540 

みんなの礼拝を創める

                            金田 佐久子

  みんなの礼拝を創める
 6月は9日と30日に合同礼拝を行います。7月7日からは毎週午前10時半からの主日礼拝を、大人も子供も一緒の礼拝としてささげることに決めました。その礼拝は、大人のためだけの礼拝でもなく、子供のためだけの礼拝でもなく、すべての人たちのための礼拝です。
 西川口教会では、昨年度、子供も一緒の合同礼拝について検討をし、実施を重ねてまいりました。決定に至るまでには、いろいろありましたが、今の西川口教会ができる取り組みとして創めます。
 「始める」でも同じ意味なのですが「創造」の「創」の字を使いました。私たちが礼拝する神は、創造主なる神、存在していないものを呼び出して存在させる神です。神が「あれ」とおっしゃれば、実現するのです。「西川口教会、あれ」とおっしゃってくださる神に依り頼みます。

  主イエスと子供たち
 教会における子供たちの居場所を考えるとき、聖書に聴くこと、特に主イエスが子供たちにどのように関わり、弟子たちにそのことをどのように教え、命じられたかをしっかりと受け止めることは、重要なことです。それがわたしたちの歩みを導く手がかりであり、お手本になると信じるからです。ここではマルコによる福音書第10章13節から16節までを引用します。

イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

 主イエスが、結婚や離婚について教えておられたとき、祝福していただこうと子供たちを連れて来た人々がいました。そのときイエスの弟子たちは、子供たちを連れて来た人々を叱ったのでした。
 ところが、そのように人々を叱った弟子たちが、主イエスの憤りを受け、非常に厳しく言われたのです。「子供たちをわたしのところに来させなさい」、「妨げてはならない」。言葉を重ねて命じておられます。子供たちが自分のところに来るのを妨げるようなことはあってはならない、ということです。主イエスが子供たちをどれほど大切に思っておられたか知ることができます。
 主イエスは続けて弟子たちに語られました。「神の国はこのような者たちのものである」、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ決してそこに入ることはできない」。子供たちから学べ、神の国を思い起こせ、と言われました。神の国は子供のような者たちのものです。子供は大人より、小さく、弱く、保護を受け入れ、守りを必要としています。素直に信頼します。子供を見て、神の国を思え、とは、大人たちもまた神の守りなくしては生きられない存在であることを覚えよ、子供を見て、神の前にある自分自身を知れ、ということです。
 弟子たちと変わらない自らを覚え、悔い改めます。主に聴きつつ歩みます。(参考・鞭木由行著「子どもも一緒の礼拝―たしかな信仰継承をめざして」)

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