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2013年 7月 1日発行 No541
主イエスと子供たち
金田 佐久子
主イエスに従う羊
先日ある方とお話しして「御国(神の国)とはどんなイメージですか」という問いを一緒に考えてみたとき、こう答えてくださいました。「羊飼いである主イエスが先頭に立ってくださって、大勢の羊が従っています。そしてわたし自分は主イエスに従っていく小さい羊です。よちよち歩きだけれど主についていきます。」素晴らしい信仰の答えだと思いました。
そしてヨハネによる福音書第10章16節の主イエスのお言葉を思いました。「こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」主イエスがご覧になっているビジョンはすべての人がご自分のもとに一つとなることでした。そこではだれも分け隔てられることはありません。性別、年齢、国境や文化、人種、能力、財産などの区別もなく、だれもが主イエスのもとに導かれ、養われるというビジョンです。
ですからもちろん、羊飼いなる主イエスのもとに子供たちのための場所は備えられています。
主イエスと子供たち
キリストの教会は、地上における神の国の映しでありひな型とされています。教会における子供たちの居場所を考えるとき、主イエスが子供たちにどのように関わり、弟子たちにそのことをどのように教え、命じられたか、もう一度聖書に聴いていきましょう。それがわたしたちの歩みを導く手がかりであり、お手本であると信じるからです。
マルコによる福音書第9章33節から37節までを引用します。
一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
イエスは弟子たちが「だれがいちばん偉いか」と議論し合っていたことをご存知でした。そしてそのことを否定なさらず語られました。「あなたたちはそれぞれ、いちばんに先になりたいと思っている。たいへん結構だ。ところで、神の国でいちばん先になるとは、すべての人の後になることなのだ。仕える者になりなさい。」その命令の直後に、おそらくそばにいた一人の子供を連れてきて、手を取って、弟子たちの真ん中に立たせ、その子を抱き上げられました。主イエスに従って生きるとは、このような子どもの一人を受け入れること。自分より弱く、小さく、力ない者を受け入れること。そのときその人はキリストを受け入れ、神を受け入れることになるのだと語られました。
主イエスは子供たちをご自分のもとに来させ、受け入れられました。主の教えを子供たちも聞いていました。弟子たちに命じられた主イエスがわたしたちの模範です。
(参考・鞭木由行著「子どもも一緒の礼拝―たしかな信仰継承をめざして」)
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