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2013年 11月 1日発行 No545 

わたしはキリストのもの

                            金田 佐久子


 世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。(コリント一3・22〜23)

  聖徒の日にあたり
 11月の第一主日は日本基督教団の行事暦で「聖徒の日」と定められており、西川口教会では毎年この日に召天者合同記念礼拝をささげます。地上の生涯を終えて、神のみもとに召された教会員と関係者の皆様方を覚え、ご遺族の方々と共に礼拝します。召された兄姉はこの教会の礼拝堂で主の日の礼拝をささげておられました。兄弟姉妹と共に主を賛美し、説教に耳を傾け、祝福されて遣わされる主日礼拝に生きておられました。主イエス・キリストが一人ひとりを愛して、ご自分のものとして選んでくださったからです。

  ただ一つの慰め
 「ハイデルベルク信仰問答」という素晴らしい本があります。ちょうど450年前に出版された古典的な教理の本で、聖書を除けば、世界の教会で、最も広く読まれている本の一つです。信仰生活の筋道を整え、養い育ててくれる、同伴者のようにして、わたしたちにキリストの福音、喜びを教えてくれる聖書的な本なのです。この本の最初の問いと答えを紹介したいと思います。

問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
 わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。
  この方は御自分の尊い血をもってわたしの罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。
また、天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。
  そしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜びまたそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。(吉田 隆訳)

 ここでは、問いと、答えの最初のところだけ見てまいりましょう。
 「生きるにも死ぬにも」、生きている時と死ぬ時にも慰めとなるものをあなたは持っていますか、と問いかけます。「死ぬにも」というのは自分がだんだん死に近づいている、そのことがよく分かっているようなその時、あるいは、愛する者が死につつある時、死んでしまった時。あなたが生きている時にも慰めであったものが、死ぬ時にも慰めとなりますか。まことの慰めをあなたは持っていますか。
 その問いを受けとめた最初の言葉は、「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。」わたしがわたし自身のものではなくてキリストのものであることです。そのキリストは、真実な救い主。キリストの真実はどこに現れたかと言うと、続く答えの文章に示されているわけです。「体も魂も」キリストのものです。内面だけではないのです。わたしという存在そのものが死に打ち勝ったキリストに結ばれていること。それがまことのただ一つの慰めなのです。

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