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2014年 6月 1日発行 No552 

聖霊の執り成しがある!

                            金田 佐久子
 
 “霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。(ローマ 8・26)
 
   ペンテコステとは
 今年の聖霊降臨日は6月8日です。この主の日に教会ではペンテコステ礼拝をささげます。ペンテコステは、クリスマスやイースターに比べると、地味な感じがします。しかし、この日は主の弟子たちが「イエスは主である」と福音を宣べ伝える伝道へと押し出された、大切な日なのです。
 「ペンテコステ」はギリシャ語の「50」という意味で、ユダヤ教においては過越祭から50日目の「五旬祭」を表しました。使徒言行録第2章1節から4節によれば、五旬祭の日が来たとき、一つになって集まっていたところに聖霊が降り、聖霊は弟子たち一人ひとりの上にとどまりました。弟子たちは聖霊に満たされて、霊が語らせるままに他の国々の言葉で語り始めました。それは神の偉大な業を語る言葉でした(使徒2・11)。
 過越祭のとき主イエスが「わたしたちの過越の小羊」(コリント一5・7)となられて十字架につけられ、その50日目に聖霊降臨の出来事があったということです。それは旧約を基としつつ、聖霊に導かれて「イエスはキリストである」と宣教する、新たな「教会の時」が始まったということを示しているのです。そして今日に至るまで「教会の時」が続いています。

   聖霊のうめき
 主イエスが復活された知らせを受けても、ユダヤ人を恐れて、家の戸に鍵をかけていた弟子たちでした。そのとき復活の主イエスの訪問を受けても、その時点では弟子たちが大胆に福音を宣べ伝えていくという出来事は起こりませんでした。聖霊が弟子たちの中を流れる時、聖霊によって燃やされる時、弟子たちは伝道へと押し出されたのでした。伝道の主体は聖霊です。わたしたちの中に聖霊が流れる時に、わたしたちも「イエスはキリストである」との福音宣教へと押し出されていくのです。聖霊に導かれて教会は伝道するのです。
 御言葉にあるとおり、聖霊は弱いわたしたちを助けてくださいます。まことにわたしたちは祈りを知らない者です。祈りを怠ります。そんなわたしたちのために、聖霊は執り成してくださいます。言葉にはなりえないうめきをもってです。聖霊が言葉にしえなかったのです。「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている・・・わたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(ローマ8・22〜23)とあります。ですから聖霊のうめきも、うめくというほかない嘆きであったといえるのではないでしょうか。祈ることも知らずに、救われたことを十分感謝もしない人間のために、神に執り成してくださる聖霊がおられる。だからこそ、その執り成しはいっそう大きなうめきになりました。十字架の主イエスの祈り「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)を思い起こします。罪人を執り成して主イエスは命を献げられました。聖霊に執り成されていることの重大さを思わずにいられません。

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