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2015年 5月 1日発行 No563 

母なる教会に生きる

                            金田 佐久子

 5月を迎えました。
 5月10日は母の日です。これはアメリカの教会で始まり、世界にひろがったものです。西川口教会では、第2日曜日の礼拝の報告の時間に、その月の誕生日の方々に祝福を祈りますが、この日は母とされた方々にも祝福の祈りをいたします。命の源は神、命は神の賜物、どんな人も神の許しがなければ、母となる人がいなければ、この世に生まれることはありませんでした。命の出来事を心に刻みたいと思います。

 5月17日には、春日部にある西川口教会墓地で年に一度の墓前礼拝をささげます。今回は昨年神の御もとに召された教会員の納骨を合わせて行います。教会墓地には「よみがえりの希望」と墓碑銘が刻まれています。先に眠りについた人たちも、これからやがて眠りにつくわたしたちも、神はその愛によって、「罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました」(エフェソ2・5〜6)。こうしてわたしたちは、いつまでもキリストと共に生かされる希望を与えられています。

 5月24日は聖霊降臨日。ペンテコステ礼拝をささげます。主イエスによって集められた弟子たちに聖霊が降り、聖霊の力を受けて主の弟子たちは大胆に「イエスは主である。十字架につけられたイエスを神はよみがえらせてくださった。この方がキリスト、救い主である」と告げ知らせ、福音宣教に押し出されていきました(使徒第2章)。主イエスを信じて救われる人が次々起こされて、主イエスの弟子たちの群れが広がっていきました。その聖霊のお働きは今も続いています。その聖霊のお働きにより、わたしたちの西川口教会も生み出され、支えられています。
 先に述べたように、誰にも母がおりますが、霊において新しく生まれる信仰の領域では、教会が母のような存在です。「母なる教会」と言われます。それは聖霊によって生かされている信仰共同体としての教会です。ですから母なる教会から離れてしまうと、その人の信仰が危うくなってしまいます。信仰が無くなったから人は教会を離れたのではない。教会を離れたから人は信仰が分からなくなってしまうのです。信仰がはっきりしなくなってきたと思われるときこそ、いっそう教会を離れてはならない、主日礼拝をささげていかなければならない。ですから教会は、聖霊の力に溢れる礼拝となるように、福音が喜びの知らせとして心に届きますようにと、ひたすら主への祈りを合わせていかなければならない。まことに真剣なことです。
 このような御言葉があります。「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです」(ペトロ一2・2)。乳飲み子はおっぱいをコックンコックンと一所懸命飲んで、確実に成長していきます。その姿はとても愛らしい。主イエスを信じた者はすべて神の子とされています。すべての人を神の子としようと神は招いてくださっています。神は、愛する我が子(わたしたち)のために、教会を通して、霊の乳、神の言葉をお与えになります。礼拝において、聖書の御言葉の説き明かしを通して、わたしたちを成長させてくださる神の言葉が与えられるのです。
 ハレルヤ。

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