トップページに戻る西川口だよりに戻る

2015年 8月 1日発行 No566 

平和の挨拶を交わしつつ

                            金田 佐久子

 日曜日の朝、共に神を礼拝するために、一人また一人と、皆様が次々に、礼拝堂に入って来られます。「おはようございます」、と挨拶します。「今朝もお会いできて、共に礼拝できてうれしいです」との思いをこめて。
 挨拶は、人と人とのお付き合いの始まりです。挨拶を交わすことによって、その積み重ねによって、親交を深めます。皆様が経験していることです。このように挨拶は人と人との関わりを築くきっかけとなりますが、キリスト者にとっては、いっそう大事な意味を持っています。
 西川口教会では、2013年のアドベント(12月1日)から、主日礼拝において「平和の挨拶」を始めました。現在では礼拝の最後に「キリストの恵みと平和がありますように!」と、互いに挨拶を交わします。わたしたちは、主の日の礼拝で神の祝福を受けて、互いに平和の挨拶を交わして、主から再びこの世に主の弟子として遣わされていくのです。
 主イエスは弟子たちを派遣するにあたり言われました。「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる」(マタイ10・12〜13)。使徒たちも教会に宛てた手紙の終わりには、心からの挨拶を送っています。「愛の口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストと結ばれているあなたがた一同に、平和があるように」(ペトロ一 5・14)。文化の違いもあり、口づけによる挨拶はできませんで、わたしたちの平和の挨拶は、握手、または両手を合わせて、または笑顔で、しています。
 肝心なことは、こちらから進んで挨拶すること。主イエスが弟子たちに語られたとおり、キリスト者の平和の挨拶は、言葉だけで終わらないこと。その人に神からの平和を与えるものであり、その人がふさわしくなければ、平和は返ってくるという出来事となる。決して空しくなることはないのです。
 「実に、キリストはわたしたちの平和であります」(エフェソ2・14)。わたしたち教会は「平和のきずなで結ばれて」(同4・3)いる、キリストにある、神からの平和の共同体なのです。

トップページに戻る西川口だよりに戻る