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2016年 3月 1日発行 No573 

イエスは生きておられる!

                            金田 佐久子

 「イエスはよみがえられた! イエスは生きておられる!」。これがキリストの教会の信仰であり、わたしたちの希望です。
 主イエスの復活の出来事をマタイによる福音書からたどってみます。そこに語られている主の言葉がどんなに愛に満ちているか、受け取りたいと思います。

 主イエスが十字架の上で息を引き取られたとき、女の弟子たちが遠くから見守っていました。さらに彼女たちは、主イエスの遺体をアリマタヤのヨセフが引き取り自分の墓に納めたのも見届けました。本来ならば、師である人の葬りは弟子たちがするでしょうが、男の弟子たちは皆、イエスが当局に逮捕されたときに逃げてしまい、主イエスが死なれたときには誰もそばにいませんでした。主イエスは、最も身近にいて親しく過ごしていた者たちからも裏切られ、捨てられたのです。
 主イエスが葬られたその日の日没から翌日の日没まで、安息日(神を敬うために聖別された休息の日)に入ったので、弟子たちは主イエスの墓に行くことはできませんでした。

 安息日が終わり、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、主イエスの葬られた墓を見に行きました。すると、大きな地震が起こり、主の天使が近寄り、墓の入り口を閉じていた大きな石をわきへ転がし、その上に座りました。墓には番兵がいましたが、恐ろしさのあまり震え上がりました。女の弟子たちも同様であったでしょう。天使が彼女たちに語りました。

 「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」(マタイ28・5〜7)
 彼女たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行きました。すると、何とよみがえられた主イエスが行く手に立っていました。イエスは彼女たちに言われました。
 「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(マタイ28・10)

 弟子たちは主イエスを捨てましたが、主は弟子たちをお捨てになることはありません。主の愛は失われることはありません。弟子たちは取り返しのつかないことをしましたが、主は弟子たちの罪を覆って余りある愛で愛し、既に赦しておられました。主は、彼らが再び立ち上がり、御自身に従うことができるように、先にガリラヤに行って、待っていてくださる御方なのです。この主イエスがキリストであり、わたしたちの主となっていてくださるのです。毎週の礼拝において、先立って待っていてくださる復活の主イエスにお出会いできるのです。ハレルヤ。
 
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