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2016年 9月 1日発行 No579 

欠けていることを知っているから

                            金田 佐久子
 
 先日、三重県在住の知人Kさんから素敵な小冊子が届きました。今年の3月30日からの5日間、三重県総合文化センターで開催された「星野富弘 花の詩画展」の記念です。Kさんとは2年前の日光オリーブの里アシュラムで出会いました。ファミリー(小グループ)の家長(リーダー)だったのです。それ以来折々にお便りをくださり、励まされています。Kさんは「富弘美術館を囲む会・三重」のメンバーで、この会が中心になって、三重県では4回目となる今回の詩画展が開催されたとのことです。
 この記念誌には、詩画展の会場感想ノートに記された来会者の言葉や、ボランティアの方々の言葉が記されています。感動、ありがとう、励まされた、癒された、希望がある、などの温もりのある言葉が収められています。来会した人も、奉仕した人もまことに多くの人々が、星野富弘さんの詩画を通して、命の尊さや優しさを知ったのだなと思いました。
 星野富弘さんとその作品については、ご存知の方も多いと思います。群馬県勢多郡東村で育った星野富弘さんは、1970年、中学校の体育の教師になって間もなく、部活動の指導中に頸髄損傷を負い、手足の自由を失います。病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始めます。その作品展に大きな反響がありました。退院後、詩画の作家として本格的な創作活動を始められます。雑誌や新聞に詩画作品や、エッセイを連載し、全国各地や海外で「花の詩画展」が開かれ、詩画集も刊行され、大きな感動を呼んでいます。
 富弘美術館のホームページによれば、星野富弘さんは今年の4月に70歳の誕生日を迎え、美術館は開館25周年を迎え、負傷してから46年、本格的な創作活動を開始してから40年が過ぎた、とのことです。現在も精力的に作品を生み出しており、今後の活動も期待されます。
 この記念誌を読んでいるうちに、5年前に、マリア会研修会で富弘美術館に行ったときのことを思い出しました。今月号の4ページに細木貞子さんの追悼記事がありますが、細木貞子さんもこのとき一緒でした。帰る時間が来ても細木さんは心惹かれる詩画を吟味し厳選して、絵葉書を求めていたので、なかなか出発できませんでした。「あれもこれも」ではなく、「今このとき」心に響く詩画を真剣に選び取っていた細木さんの姿が印象的でした。
 もう一つ思い出したことがありました。星野富弘さんの言葉です(詩画集『あなたの手のひら』より)。
“絵と文字という別のものを一枚の絵の中に描いていくうちに少しずつ分かってきたのですが、絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。欠けているもの同士が一枚の画用紙の中におさまった時、調和のとれた作品になるのです。これは詩画だけでなく、私達の家庭も社会も同じような気がします。欠けている事を知っている者なら、助けあうのは自然な事です。 ”
 教会もまた、互いに欠けている者であることを知り、だからこそ助け合います。完全な人は誰もいません。「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要」なのです(コリント一12・22)。教会はキリストの体であり、一人ひとりはかけがえのないその部分です。欠けは、共に生きる人たちによって神に満たされて、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩編23・1)と神をほめたたえることができるのです。


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