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2016年11月1日発行 No581 

主の御名を呼び求めて

                            金田 佐久子
 
 主の名を呼び求める者はだれでも救われる。(ローマ10・13)

 日本基督教団では、11月の最初の日曜日を「聖徒の日」としています。西川口教会は「聖徒の日」に、先に神の御許に召された教会員と関係者を記念する召天者合同記念礼拝をささげ続けてきました。
この記念礼拝では、1年の間に逝去された兄姉の写真を講壇の近くに置きます。また、礼拝堂の最前列の会衆席の前に、地上の生涯を終えた方々の写真を入れたパネルを置きます。そして、逝去された教会員と関係者のお名前のリストを週報と共に手元にお渡しします。この記念礼拝にはご遺族の方々をお迎えします。
 こうして、先に神に召された方々を覚え、ご遺族に神の慰めを祈りながら、神を礼拝します。わたしたちの体の目にはこの方々は見えなくなりましたが、救い主イエス・キリストにあってつながっていること、復活の朝を迎える希望に共に生かされていることを深く自覚します。
 この記念礼拝は月の第1主日ですから、他の月と同じように聖餐を祝います。通常の主日礼拝では教会の信仰の告白として使徒信条を唱えていますが、聖餐を行う礼拝では日本基督教団信仰告白を告白しています。日本基督教団信仰告白の終わりに使徒信条がありますが、その前にこう告白しているのです。「我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す」。召天者合同記念礼拝では、教会の信仰の告白が「代々の聖徒と共に」なされるものであることをいっそう意識します。それは、西川口教会に生きた聖徒(聖なる者)ばかりではありません。時代を超えて、国を超えて文化を超えて、人が生み出した隔ても越えて、地上の生涯を終えて神の御許にあるすべての聖徒と共に、今生かされて聖徒たちは、主に希望を置いて主の御名を呼ぶのです。
 今までになかったことですが、実にこの1年の間に8人もの方々が逝去されました。わたしにとって、それはとても寂しく、悲しいことでした。どなたの存在も、かけがえのない尊いものであり、だれも変わることができない一度限りの人生を生きてこられたのでした。逝去の順にお名前を記しておきます。H・Mさん、S・Nさん、I・Tさん、I・Sさん、T・Kさん、H・Kさん、H・Sさん、M・Kさんの8人です。病と一所懸命闘ってこられた方、静かに天寿を全うしたと思える方、礼拝を長く休んでいて、ご家族が逝去をお知らせしてくださった方々もあります。
 旧約聖書のコヘレトの言葉第3章にこう語られています。「天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時」(1〜2節)。さらに第3章11節には「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」とあります。命は天地を造られた神の御支配の中にあり、人の手にはありません。人は土から取られ土に返る存在です(創世記3・19より)。
 その限りある弱い人間を神は愛し、愛ゆえに、ついに神の子が天から降って地上に人として来られ、すべての人の救いとなってくださいました。どんなことがあっても、神を呼ぶことができれば、わたしたちは独りではありません。地上の生涯の最期まで「主イエスよ!」と呼ぶことが許されています。主を呼ぶ者は救われます。

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