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2017年1月1日発行 No583 

主が建てられる主の教会

                            金田 佐久子
 
 主の年2017年を迎えました。
 今年の教会の御言葉はマタイによる福音書第16章18節を選びました。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」。
これは主イエスが、弟子のペトロの信仰告白「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16・16)に対して語られた言葉です。「メシア」とは「キリスト」。ペトロは、自分が従ってきた目の前にいるイエスが「キリスト」すなわち救い主であり「神の子」であると信仰を言い表しました。主イエスは「この岩の上にわたしの教会を建てる」と宣言されました。「この岩」とは「イエスがキリストである」という信仰の告白を指します。「イエスは主である。イエスはキリストである」と信仰の告白をする人々の集まりが教会です。

 大切なのは、「主イエスご自身が教会をお建てになる」ということです。マタイ福音書第16章では、このペトロの信仰告白のすぐ後で、ペトロは主イエスから「神のことを思わず、人間のことを思っている」(23節)と言われ、ひどく叱られました。それは、主イエスが、御自分がエルサレムで苦しみを受けて殺され、三日目に復活すると予告されたとき、ペトロは驚き、受け入れられなかったからです。たった今、信仰を告白したその口で、主イエスの言葉を否定しました。神のなさることを人の考えで測ろうとする弱さでした。これは、わたしたちにも絶えずついて回ります。わたしたちにとって思いがけないこと、受け入れ難いことも起こります。その弱いわたしたちを主イエスは受け入れていてくださる。わたしたちは弱さを自覚しつつ、主日礼拝で主の言葉に聴き、信仰の告白を新たにし、主の御手に委ねる祈り―主の祈り―をささげます。主の御心だけが成る、すべてのことには神の時がある、神は神のなさり方で御業を進めておられ、万事を益となるように働かせてくださると信じているからです。

 次に「教会は主イエスご自身の教会」です。地上の教会には活動のために制度・組織などがありますが、その本質は何かといえば「主イエス・キリストに属するもの」「キリストのもの」です。新約聖書の書簡には「教会はキリストの体である」とあります。ボンフェッファーが「キリストに従う」という本でこういうことを語っています。「キリストの体は、キリストの教会である。聖霊降臨の日から、イエス・キリストは御自身の体、すなわち教会の形をとってこの地上に生きておられる」。キリストは教会によって地上に臨在しておられます。キリストを信じて生きるとは、具体的には教会に属することです。洗礼を受け、聖餐にあずかる。キリストと共に死に、キリストと共に新しい命によみがえる、生きるにも死ぬにもキリストと共に生きる。わたしもあなたもキリストのもの。それは教会がキリストのものであることに根差しています。

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