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2017年3月1日発行 No585 

わたしに立ち帰れ!―悔い改めの呼びかけ

                            金田 佐久子
 
 わたしはあなたの背きを雲のように、罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。(イザヤ44:21〜22)

 今年の受難節(レント)は3月1日から始まります。4月9日が棕櫚の主日で受難週が始まり、4月14日の金曜日が受難日です。翌週の4月16日が復活日で、イースター礼拝をささげます。主イエス・キリストが十字架へ向かわれた御足の跡をたどるように、主イエスの苦難と死、葬り、復活の出来事を、特に深く心に刻みながら、祈りの日々を過ごします。
 今年は、ルターの改革から500年の記念の年です。1517年10月31日、ローマ・カトリックの修道士であったマルティン・ルターは、ヴィッテンベルク(ドイツのザクセン地方の都市)の教会の扉に、贖宥状(免罪符)の販売に反対して「95箇条の提題」を張り出したと言われています。これがきっかけとなってルターは改革の担い手とされていきます。わたしたちの教会もこの改革の系譜に連なるプロテスタント教会です。
 ルターの95箇条の提題は、よく知られた次の言葉で始まります。「われわれの主であり、師であるイエス・キリストが『悔い改めよ』と言われるとき、彼は信じる者の全生涯が悔い改めであることを望んでおられたのである」。
 マタイによる福音書第4章17節にこうあります。「そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」。悔い改めは、主イエスのご命令であり、主がわたしたちに望んでおられること。それは主の福音であり、神の恵みなのです。
 ところで「悔い改める」は、国語辞典によると「過去の過ちを反省して心を入れ替えること」という意味です。新約聖書で「悔い改める」と訳されたギリシア語は「メタノエオー」ですが、この語は「思いや考え方を変える」ことを意味し、そこから「後悔する」ことをも表します。ですから日本語の「悔い改める」の意味と重なるところがあります。
 しかし、主イエスは「天の国(神のご支配)が近づいたから、悔い改めることができる。悔い改めなさい」と語られているのです。この神のご支配は、天地を造られ、世界と歴史を支配しておられる唯一のまことの神を知らない、自然のままの人間には理解ができません。霊の目が開かれなければなりません。ですから、新約聖書で「悔い改める」とは、自らの反省や後悔にとどまることではなく、神によって靈の目が開かれて、人間の生きる姿勢全体の転換が起こることを表しています。
 「悔い改め」とは神の言葉によって明らかにされた姿に生きることであり、主イエスはその言葉と働きを通して、天の父なる神の御心を人に明らかにされました。それは冒頭のイザヤ書の言葉に通じるものです。主なる神は「わたしはあなたの背きを雲のように、罪を霧のように吹き払った」と宣言してから、「わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った」と呼びかけています。まだ立ち帰っていない者の罪や背きが一方的に吹き払われている、つまり罪はすでに赦されている、その事実に目を向けて、それに合わせて生きるようにという呼びかけが、「悔い改めよ」という神の招きなのです。

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