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2017年5月1日発行 No587 

キリストの家族になる

                            金田 佐久子

 「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です・・・見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19・26-27)

 昨年6月19日の特別礼拝に神学者で説教塾主宰の加藤常昭先生をお迎えしました。先月、ようやくこの礼拝の説教全文と午後の質疑応答をまとめ、記録の小冊子を発行しました(希望者にはお渡しできます)。その質疑応答で「十字架の意味を教えてください」との問いに加藤先生が答えてくださいました。そのところを少し紹介します。
 〔礼拝堂の壁の十字架を指して〕こういう十字架をどう見るか、なんですね。プロテスタントの場合だと十字架だけなんです(カトリックでは十字架につけられたキリストのお姿を刻んで付ける)。十字架にイエス・キリストのお姿を信仰において見るということがとても大事だと思います。そしてお姿を見るだけではなくて、イエスの声を聞くんです。十字架というのはキリストの声が聞こえる。皆さんも日曜ごとに、折りあるごとに見るとき、この十字架の上でキリストが叫ばれた叫びを思い起こしてくださればいいと思います。7つあります。7つの言葉を思い起こすのは、十字架の意味を悟る、とても大事なことです。…

 この主イエス・キリストの十字架上の7つの言葉のうち、第3の言葉が、冒頭のヨハネによる福音書の第19章の御言葉です。ヨハネ福音書では、主イエスが十字架にかけられたとき、そばには母マリアと母の姉妹と二人の女の弟子たち、そして愛する弟子(ヨハネと言われている)が立っていた、とあります。母マリアは我が子イエスを失おうとしています。その子は世の罪のために死に渡されようとしています。「御覧なさい、あなたの子です」。
 母であるとは、犠牲を惜しまず我が子を愛し育て、ついには愛した我が子を手放すことです。特にマリアの場合は極めてそうでした。イエスが生まれ、この幼子を連れて神殿に行ったとき、神の人シメオンは母マリアに預言しました。「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――」(ルカ2・34〜35)。主イエスがガリラヤで神の国の福音を宣べ伝えようとしたとき、家を出ていかれました。母マリアとイエスの兄弟がイエスを訪ね、話したいと外で待っていたとき、返事はこうでした。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。…ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(マタイ12:48〜50)。イエスは父なる神の御心に従い、それを決しておろそかにはなさいませんでした。しかし、そのことはその母にとって痛みであったでしょう。
 十字架の主イエスの御言葉は続きます。母に語られた後、弟子ヨハネに「見なさい。あなたの母です」と言われました。「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」(ヨハネ19・27)。こうして主イエスによって、弟子は新しい母を得、母マリアは新しい息子を得ました。母と弟子は、十字架の上のキリストの言葉を聞き、それを受け入れました。こうして、主イエスは御自身のもとに―十字架の上で、十字架のもとに―新しいキリストの家族をお造りになられるのです。

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