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2017年6月1日発行 No588
聖霊は風のように
金田 佐久子
今年の聖霊降臨日(ペンテコステ)は6月4日です。神の聖なる霊を待ち望みます。
聖書で「霊」と訳される言葉は、ヘブライ語で「ルアッハ」です(旧約聖書はヘブライ語で書かれています)。ルアッハは、もともとは「移動する空気」を表す言葉です。そこから「風」の意味が出ました。古代の人たちは、現代のわたしたちとは違って、すべての現象が神的な力によって起こされると考えていました。聖書では、自然の「風」を、天地万物を創造された神の意思を実現する道具と見なしていました。この「風」は、出エジプト記第10章ではいなごを運んで災いをもたらし、民数記第11章では、荒れ野でお腹を空かせたイスラエルにうずらを運んできました。
ルアッハは自然の「風」を指すだけではなく、人間や動物の鼻や口から出入りする風、つまり「息」をも指しています。息が鼻や口から出入りする限り、生き物は生きます。息は生命が宿っていることのしるしです。この息は、風がそうであるように神から来るのです。
さらに、神がルアッハを人に送るとき、それはある人物を選び、使命を授け、その使命を果たすことができるようにします。イザヤ書第11章では 新たに現れる一人の人物が描かれています。彼は神から「霊(ルアッハ)」を受け、この地の弱い、貧しい人のために働く使命を与えられます。彼の受けた「霊」は、「知恵と識別の霊(何が正しく、何を行うべきかを知る力)」であり、「思慮と勇気の霊(判断したことをやり抜く意志の力)」です。そして、すべての働きの根底には、「神を知り、畏れ敬う霊」があって、彼が間違った行動をしないように導きます。「霊(ルアッハ)」は風のように吹き込む、神からの力です。
詩編第51篇には、ルアッハの意味がもっともよく表されている御言葉があります。「神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください」(詩編51・12〜14。傍点は筆者)。
「ルアッハ(霊)」が三度現れます。最初の「霊」は「清い心」と並べられています。ヘブライ語の「心」は感情ではなく、理性や判断力を結びついているので、この「霊」は正しさを識別する判断力です。詩編作者は罪に再び陥ることがないように、何が正しいかを知る「確かな霊」を神に祈り求めます。三番目の「自由の霊」は、罪を洗われ、新たに生きる力を与えられた者が、その救いに生き続ける自由な、喜びの心を意味しています。この二つの「霊」に挟まれて「あなたの聖なる霊」が置かれています。それは、「確かな霊」にせよ「自由な霊」にせよ、神の「聖なる霊」に源があるからです。風のように神から吹き出る霊が人を生かし、人を喜びと自由に、命の道に導くのです。
(参考・雨宮 慧著「続・旧約聖書のこころ」)
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