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2017年11月1日発行 No593 

キリストにおいて死を見る

                            金田 佐久子
 
 今年はルターの改革から500年の記念の年。うれしいことに10月から毎週NHKラジオ第2放送「カルチャーラジオ 歴史再発見」で「ルターと宗教改革500年」の放送が始まりました(全13回。12月まで)。お話しは日本ルーテル神学校教授の江口再起先生です。ルターの働きとその意味、改革の運動の展開、改革500年の意義等について知ることができます。放送後2ヶ月間はインターネットで聴けます。
 西川口教会では毎年「聖徒の日」(11月の最初の日曜)に、先に神の御許に召された教会員と関係者を記念する召天者合同記念礼拝をささげてきました。前述のラジオ番組にはテキストがあり、その中の「人間ルター」という講義も興味深く読みました。召天者記念礼拝にあたり、この講義からルターの家族、ルターの死に対する姿勢を紹介して、神の前にある死を見つめたいと思います。
 ルターは、1525年、元修道女カタリーナと結婚しました。ルターは41歳、カタリーナは26歳でした。二人には6人の子供が生まれました。ルターは愛情あふれる父親でした。彼がリュートを弾き子供たちがそれに合わせて歌をうたう食後の一時を過ごしました。クリスマスを家庭で祝うことを始めたのはルターと言われています。心温まる家庭だったようです。悲しいこと、苦しいこともありました。長女エリザベートを8ヶ月で亡くし、次女マグダレーナが13歳で死んだのです。ルターもカタリーナも娘のベッドの前で激しく泣いたとあります。こうした心温まる楽しいこと、口では言い表せないほどの悲しみ、これらをすべて含んで家庭というものは形作られていき、ルターの家庭も決して例外ではありませんでした。ルターはこのような平凡な家庭生活に神の恵みを見出して生きていました。
 晩年のルターは度重なる病気で苦しんでいました。旅先で胸の痛みを訴え、倒れました。ルターは「神よ、私は生まれ洗礼を受けたここアイスレーベンで死ぬことになるでしょう」と祈り、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3・16)と聖書の言葉を口にしました。臨終の祈りの伝統にのっとって「主よ、御手にわたしの霊をゆだねます」(詩編31・6)を3度繰り返し、同僚の牧師が耳元で「キリストの教えに固くとどまりますか」と尋ねると「はい」と答え、静かに目を閉じました。1546年2月18日、63歳でした。
 ルターは1519年に「死への準備についての説教」を書きました。第一に「死はこの世と、この世のすべての営みからの別離である…」と語り出されています。第二に、私たちの心を傷つけた人々をゆるし、反対に私たちが傷つけた人々にゆるしを請うよう勧告しています。第三に「こうして地上のあらゆる人々に別れを告げた後は、ただ神のみを目あてとしなければならない。死の道も神へと向かい、そこへ私たちを導いて行くからである。…」と語ります。さらに「あなたは死をただ神の恵みのうちに死に、…死に打ち勝った…キリストとキリストのすべての聖徒たちとにおいてのみ見るように、たゆまず努力しなければならない。…この姿を深く、しっかりと心に銘じ、注視すればするほど…あなたの心は平和を得、キリストとともに、またキリストにおいて、安らかに死ぬことができる…あなたはキリストの死のみを心にとめなければならない」と語っています。ルターは生涯をかけたキリストへの信仰をもって死を受け入れ、説教したように地上の生涯を終えたのでした。

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