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2018年1月1日発行 No595 

愛―すべてを完成させるきずな

                            金田 佐久子
 
 主の年2018年を迎えました。どんな年となるのか分かりませんが、主は最善をなされると信じ、いつも主に望みを置き、常に主の御言葉に聴き従って歩みましょう。
 今年の西川口教会の御言葉は、コロサイの信徒への手紙第3章14節の「愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」です。
その前の箇所から聖書の言葉に耳を傾けてみましょう。
“あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。(コロサイ3・12〜14)”
 聖書の言葉に聴くとき、神の目に映る自分や教会の姿に気づき、驚き、深い喜びが与えられます。
 この聖書の箇所では「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されている」(12節)とあります。わたしたちは既に聖なる者とされているのです。思いがけないことです。神の自由な恵みによって選ばれたからです。神が愛してくださったからです。この神の先立つ愛の選びがあったから、わたしたちは神とお出会いでき、神を愛することを知りました。西川口教会では、各自が日ごとに聖書を開き、祈ることを勧めています。それは、聖書の言葉を通して、この神の愛を受けることです。日々の祈りがこの神と出会う時、神の愛を受ける時でありますように。
 神によって新たにされた自分、愛されている「わたし」は神の愛に生きる以外にないのです。さらに続く勧めの言葉「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」(12〜13節)は、神の愛を注がれ、神の子とされたキリスト者の生き方です。キリストの十字架によって罪を赦された者の生き方です。そこに「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」(14節)と続きます。自分たちが完成するのではないのです。神の愛がわたしたちを結ぶきずなであり、一切のことを完成してくださるのです。ハレルヤ!
 

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