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2018年4月1日発行 No598 

「信じる者になりなさい」

                            金田 佐久子
 
 信じない者ではなく、信じる者になりなさい。(ヨハネ20・27)

 主イエス・キリストは死者の中から復活されました。イースター(復活日)は、このキリストの復活を祝う日です。今年のイースターは4月1日、2018年度の最初の主日礼拝は主の復活のお祝いで始まります。復活の主が先立ってくださいます。
 幼いころ、イースターは、教会できれいなカードやイースターエッグをもらえる日であり、クリスマスのようにうれしい雰囲気が伝わってくる日でした。あれから数十年。中高年世代となり、経験を重ねました。その中でも大きな出来事は何かと問われれば、愛する者の死でした。
 東日本大震災から7年が過ぎ、熊本大分地震からもうすぐ2年となります。思いがけない震災によって多くの人が亡くなりました。被災者の中には、愛する者が死に、自分が生きていることに苦しむ人たちがいます。無力さに打ちのめされ、生きる意味を見失いそうになっている人たちがいます。先月は特集番組や特集記事などがあり、そのような声に改めて耳を傾けました。
 また、身近なところにおいても、過去の自分を振り返ってみても、愛する者に「死なれてしまった」あるいは「死なせてしまった」との思いを持ちながら生きている人は、実は、少なくありません。
 人はこのように死のゆえに恐れや苦悩や無力感に襲われ、暗闇に追いやられる存在だと思います。しかし聖書は、本当の信仰を持つことができなければ、復活のゆえに、人は恐れ、惑うと語っているのです。
 先生であるイエスが捕えられたとき、従っていた弟子たちは、恐れのあまりイエスを置き去りにして逃げ、身を隠しました。その間にイエスは十字架刑に処せられ、葬られました。弟子たちの「何があってもイエスに従っていく」という自信は砕かれ、挫折し、いつ当局に先生と同じように捕えられるか分からない、と恐れました。そのようなとき「イエスがよみがえられた」という、まったく理解できない知らせが届きました。
 弟子たちはイエスが復活されたことを直ちに信じたのではありませんでした。復活を信じるということは、信仰だけによって生きること、ただ神の約束だけを信じることです。自分の手に「これで大丈夫だ」ということから全部手を放してしまうことだからです。人はそのままで復活を信じることは難しいと思います。
 主イエスはそのような弟子たちにどうなさったのでしょうか。弟子たちは家の戸に鍵をかけていたのに、そこへイエスが来て真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言われました(ヨハネ20・19)。その八日の後、今度は弟子のトマスも加わっていたときにも、同じようにイエスが来られ、「あなたがたに平和があるように」と告げられました(ヨハネ20・26)。
 恐れから身を守ろうとして心を閉ざし、壁を作る弟子たち。それはわたしたちの姿です。弱い気持ち、信じられない気持ちの中に閉じこもっているわたしたちに、何としても主イエスは近づこうとなさり、壁を破っておいでになり、御自身の平和を差し出されるのです。冒頭の弟子のトマスに語られた主の言葉はわたしたちにも語られています。主イエスは、御自分が裏切られても、屈辱を受けても、命を取られてもいいので、わたしたちが信じる者になってほしいということを切に望んでおられます。わたしたちがこの主の望みの約束を受け入れるかどうか。問われています。

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