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2018年7月1日発行 No601 

あなたの味方はだれ?

                            金田 佐久子

 神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。(ローマ8・31)

 どんなときも、どこにいても助けてくれる。常に変わらないで味方となってくれる。あなたにそのような人はいますか。ある人にとっては親友が、またある人にとっては親が、あるいは夫や妻が、きょうだいが、おじさんやおばさんが、また高齢の人には我が子が味方という人もおられるかもしれません。
 そんな味方がいたらどんなに心強いことでしょう。そんな人になれたならどんなに誇らしいことでしょう。それだけ人を大切にして、自分が大切にされているということですから。
 反対に、だれも味方がいなかったら、人が生きていくことは何とつらいことでしょう。世の中には、そのような味方となってくれる人がいなくて、つらい中を生きている人が多いのです。
 聖書は、わたしたちのために、もっとも素晴らしい、最強の味方がいると告げています。ローマの信徒への手紙第8章31節「神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」。神以上に強い味方はいないのです。「神はわたしたちの味方である」。これが教会の信仰です。その信仰を得たとき、すべてを神にお任せして、人は安心して生きていけるし、安心して死ぬことができます。
 5月28日に本杉榮資兄が神の御許に召され、6月1日に西川口教会で葬儀をいたしました。5月半ばに入院の知らせを聞いた時には、まさかこんなに早く召されるとは露ほども思っていませんでした。厳しい入院生活の中、5月25日に本杉啓子姉より病床洗礼の申出を受け、お見舞いに伺いました。本杉兄に「『イエス様』とお呼びすればよいのですよ!」とお声をかけ、「キリストを信じますか」の問いに手を握り返して答えてくださり、洗礼式を執行しました。この本杉榮資兄の生と死を通して、改めて人の命のはかなさを深く知らされました。
 6月18日午前7時58分、大阪北部で震度6弱の地震がありました。死者や多数のけが人が出て、ライフラインにも交通機関にも影響が出ています。余震も続いています。一瞬先のことも知り得ない人間の限界を思い知らされました。
 人は大切な人の味方になったとしても、味方となってくれる人がいても、限りがあります。だれも他者の代わりに生きることも、死ぬこともできません。そのような限りある人間のために、神が味方となってくださる、というのです。天地の造り主であり、主イエス・キリストの父なる神が、一人ひとりを追い求めて味方となってくださるのです。かつては神が味方であることを知らず、そのことを願うこともなく、それゆえに神に背いて生きていたわたしたちたちのために、キリストの救いを備えて、神はわたしたちの味方となってくださるのです。

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