トップページに戻る西川口だよりに戻る

2019年5月1日発行 No.611 

洗礼の大きな喜び

                            金田 佐久子

 最近、こんなうれしい言葉に出会いました。
 「神さまからいただいた恵み、これからいただく恵みを小さなものと思わないようにしよう。神さまの恵みは本当に大きい。もしも、それを小さなものと思っているなら、それは罪を犯していることになる。神の救いは小さなものと思い込み、小さなものを受け取ることしか期待していない」。
これは説教の学びを共にしている先生が、古代教父のクレメンスという人の説教の冒頭の言葉を言い換えてくださったものです。神の恵みは本当に大きい。
そして洗礼を通して、わたしたちにどれほど大きな希望が与えられ、喜びが与えられているか示してくださいました。既に洗礼を受けている人も、これから受けようとしている人にも、聖書の御言葉から、その豊かさを受け取りたいと思います。

洗礼―神の子の養子縁組
 「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです」(ヨハネの手紙一3・1)。
 洗礼は「あなたはわたしの愛する子だ」と父なる神が宣言してくださるときです。自分で自分を見つめると、貧しく恥ずかしいのですが、そこにとどまって神の言葉を退けるならば、神の慈しみのまなざしを拒み、神の愛を拒否することになります。「事実また、そのとおり」と御言葉は語っているのです。ですから、わたしたちは神の子です。

洗礼―小さなキリストへの任職
 洗礼を受けた人は自分のことを「キリスト者」と呼び、人から「キリスト者」と呼ばれます。
 「わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です」(コリント二1・21)。
わたしたちは神によって、キリストに堅く結びつけられ、油を注がれました。この箇所で洗礼は油を注がれることを意味しています。
 「キリスト」はヘブライ語では「メシア」です。これは「油を注がれた者」という意味です。旧約聖書では、大切な神の仕事をする人 (預言者・祭司・王)に油を注いで任職しました。油を注がれて任職された人が「メシア」でした。主イエスの時代、この三つの務めを一人でしてくださる「メシア」(キリスト)を、人々は待望するようになっていました。主イエスは、福音を語り(預言者)、民の罪の赦しを祈り(祭司)、まことの神のご支配をもたらす(王)、キリスト(メシア)であると、イエスの弟子たちは信じ、証ししました。「イエスはキリストである」が、教会の信仰の告白の言葉となりました。
それだけなく、洗礼を受けた者は油を注がれて、小さなキリストとされているのです。
 ペトロの手紙一第2章9節にはこうあります。
 「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」。
 洗礼を受けたわたしたちは、王の系統を引く祭司です。神によって、罪と死の闇から、赦しと命の恵みの光の中へと移されました。この恵みを分かち合うべく、神から選ばれ、任命されています。

トップページに戻る西川口だよりに戻る