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2019年9月1日発行 No.615 

「最上のわざ」

                            金田 佐久子

 現代の日本は「人生100年時代」と言われる超高齢社会となりました。現在92歳の父(要介護4)は介護を受けながら牧師館で暮らしてしていますが、体調は守られてとても元気でおります。なので「神さまがおゆるしになったら、父は100歳まで生きるかも…」などと思っています。
 西川口教会では、毎年9月第2日曜日の主日礼拝は、敬老祝福礼拝としてささげています。70歳以上の教会員、教会関係の方々に神の祝福をお祈りします。70歳はまだまだお元気な方も多いです。
 いのちは造り主である神からお預かりしたものです。いつの日か必ず、いのちの造り主である神が、最もふさわしいときに、それぞれの息をお引き取りになります。神のゆるしのなかに「今」という時を生かされているわたしたちに過ぎないのです。70年を越えて生かしていただいた方々には、神に生かされている使命があることと信じます。
 礼拝後の愛餐会では、敬老祝福の対象の方に教会からささやかなお祝い品を差し上げています。伝道牧会部の担当者が毎年、心を込めて準備しています。
 昨年はそのお祝い品に一編の詩が添えられていました。「最上のわざ」という詩です。これは、上智大学の学長をなさったヘルマン・ホイヴェルス神父の著書「人生の秋に」に紹介されている有名な詩です。

「最上のわざ」

 この世の最上のわざは何? 楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
 若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、 弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。
 老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。
 まことのふるさとへ行くために。
 おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
 こうして何もできなくなれば、それを謙遜に承諾するのだ。
 神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。
 手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
 愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
 すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
 『来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ』と。

 一言一言が心に沁みます。高齢の教会員の方々を訪問したときや、父の介助をするとき、この詩の通りだと実感します。できなくなることが増えていく自らを受け入れるほかありません。けれどもそれは、神のお働きが増していくことでもあるのではないでしょうか。つまり弱って、人の世話になるところで、隣人から愛の奉仕を受け取ることができるのです。神が最後まで残してくださった「祈り」という「最上のわざ」をささげることができるのです。

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ一5・16〜18)

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