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2020年1月1日発行 No.619 

確信と希望に満ちた誇り

                            金田 佐久子
 
 
 キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。
     (ヘブライ3・6)

 主の年2020年を迎えました。教会のかしらである主イエス・キリストの恵みと平和がこの年も皆様に豊かにありますように。
 西川口教会創立70周年記念のこの年の教会の御言葉は、冒頭に書きましたヘブライ人への手紙第3章6節を選びました。永遠に変わらない忠実な御子キリストのご支配の中で、わたしたちは主からの確信と希望に満ちた誇りを持ち続けさせていただきましょう。
 確信と希望に満ちた誇りを持つとは、先月のゴスペル夕拝で賛美した有名な讃美歌「アメージング・グレース」の詞のような信仰ではないかと思いました。
この讃美歌は、英国国教会の牧師ジョン・ニュートン(1725―1807)が作詞したものです。

Amazing grace! how sweet the sound,
That saved a wretch, like me!
I once was lost, but now I'm found,
Was blind but now I see.

驚くべき恵み―何と胸をときめかす音の響きか―
私のような無頼漢さえも救いたもうたとは!
私はかつて失われていたのですが、今や神に見出され、
かつて目が見えなかったのですが、
今は見ることができます。
 (日本語訳は、大塚野百合著「きよしこの夜ものがたり」より引用。「アメージング・グレース」は讃美歌21の451番に「くすしきみ恵み」として収録されています。)

 「主イエス・キリストを信じれば救われる」と教会は宣べ伝えています。その通りなのですが、ともすると、救いが人間の決断で左右されるように思い違いをしてしまうかもしれません。そうではないのです。「救われる」とは、この讃美歌の歌詞のとおり「神に見出される」ということ。神の救いとは、神がこのわたしを、あなたを見つけて、捕らえてくださるということなのです。
 主イエスがこう話してくださいました。
 「銀貨を十枚持っている女がその一枚を無くした。ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜して、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて言う、『無くした銀貨を見つけました。一緒に喜んでください』と。このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがあるのだ」(ルカ15・8〜10より)。
 神は失われた者を見つけるまで捜し、見つかったら共に喜ばれる。そのため御子は降り、人として生まれ、十字架の死によって罪を取り除き、復活によって希望となられました。確信と希望に満ちた誇りとは、外から来ます。神から来ます。神を喜び、神に見出されたことを賛美し、神のものとされた自分を、教会を大切にすることです。

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