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2020年2月1日発行 No.620 

あなたの助けは
天地を造られた主から来る


                            金田 佐久子
 
 2020年の最初の日曜、1月5日の主日礼拝で、私たちは喜びに包まれました。3人の成人の方々の祝福式があったからです。
 この月報に、成人にあたってのお気持ちを書いていただきました。さらに記念となるよう、祝福式でお話した詩編第121篇の御言葉をここに記しておきたいと思います。
 「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」(詩編121・1)。
 この詩編の「山」とは、私たちの前にそびえたつもの、行く手を阻むもの、苦難であり、死を象徴しているのです。だれもが、「山」が目の前にある、そういう経験をしていると思います。若い人々でもそうでしょう。びくともしない「山」、自分にはどうすることもできない「山」があるのです。
 しかし、信仰者は主に向かって賛美の声をあげます。「わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」(2節)。
 「山」も、天地の造り主である神のご支配の中にあります。主なる神に信頼し、主からふさわしい助けがあることを信仰者は確信しています。そして祈り求めます。「どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように」(3節)。
 人生には、「山」に行く手を阻まれるばかりでなく、足元をすくわるようなことも起こります。主は、足がよろめかないように助けてくださいます。さらに、人は眠っている間は無防備で、赤ちゃんと同じです。だれが来ても分かりませんし、だれかが近づくのを止めることはできません。しかし、眠っている間も主が見守ってくださいます。神は「まどろむことなく、眠ることもない」方だからです(4節)。
 「あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに」(8節)。
 私たちはいろいろなところに出かけ、帰ってきます。移住することもあるでしょう。ついには、主のもとに旅立つ時が訪れます。今このときも、これからも、とこしえまで、主が慈しみのまなざしで私たちを見守ってくださいますように。それは、死に勝利された主イエス・キリストの満ちあふれる命の祝福です。

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