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2020年5月1日発行 No.623
主の御名を呼び求めて
金田 佐久子
昨年の敬老祝福の記念品として、詩人でキリスト者の八木重吉(1898〜1927)の信仰詩集「うつくしいもの」を、父が頂戴いたしました。同居している私も心が洗われる信仰詩と出会い、お恵みをいただいています。このような詩がありました。
イエス
イエスの名を呼びつめよう
入る息 出る息ごとに呼びつづけよう
怒どおりがわいたら
イエスの名で溶かそう
弱くなったら
イエスの名でもりあがって強くなろう
きたなくなったら
イエスの名できれいになろう
死のかげを見たら
イエスを呼んで生きかえろう
「イエスさま!」と主イエスを呼ぶと、主イエスの御名が、私の怒りを溶かし、私を強くし、私をきよくし、私を生きかえらせてくださるのです。なんとありがたい主の御名でしょう。私たちは、いつでも、どこにいても、どんなときでも、主を呼び求めることができます。「イエスさま!」と叫ぶことができるのです。
初代教会の時代、異邦人のための福音宣教者として神に選ばれ、用いられ、苦闘した使徒パウロ。彼が各地の教会に宛てた手紙が、新約聖書に数多く残されています。その一つ、ローマの教会に宛てられた『ローマの信徒への手紙』第10章9節から13節までに、こうあります。
“口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。・・・すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。”
死に勝利された主イエスの御名に力があり、救いがあります。
今年は、教会創立70周年の記念の年として、神への感謝を表し、ますます伝道する教会となれますようにと祈って歩み出していました。けれども、まさか礼拝堂での礼拝ができなくなる事態が来るとは、予期せぬことでした。受難週のただ中で、キリストの受難を覚え、復活日のお祝いのイースター礼拝へと向かっている時、新型コロナウイルスによる感染拡大が深刻さを増し、4月7日、政府から緊急事態宣言が発令されました。西川口教会のある埼玉県も対象地となりました(その後全国が対象に)。新型ウイルス感染拡大防止のため、イースターの4月12日より、しばらく礼拝堂の礼拝を断念し、家庭礼拝をささげることになりました。物理的な距離を取らなくてはならなくなりましたが、主に愛され、招かれ、集められたキリストの体として、主に結ばれているこの事実は揺るぎません。置かれたところで主の御名を呼び求めます。
今年の昇天日(キリストが天に昇られた記念の日)は5月21日、聖霊降臨日(ペンテコステ)は5月31日です。主イエス・キリストは父なる神の右の座におられ、私たちのためにとりなし、祈りの霊である聖霊を注いでくださいます。新型ウイルスの感染拡大に伴い、人々の心の不安、恐れ、差別や偏見も増して、心痛む悲しいことがたくさん起こっています。主の御名を呼び、この地の平和を祈り求めます。
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