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2020年6月1日発行 No.624 

試練を受けて

                            金田 佐久子

(イエスは)事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。(ヘブライ2・18)

 まず、こうして西川口だより第624号を発行できましたことを、神に感謝いたします。新型コロナウイルス感染防止のために社会全体に様々な影響が及んでおり、西川口教会も大きな影響を受けました。私自身、特に4月は動揺や不安に振り回されそうになりました。そんな中でも月報を5月号、6月号と継続して発行し、皆様にお届けできたことは大きな喜びです。
 西川口教会では感染リスクを下げるために、4月12日から各自が家庭で(自宅で)礼拝をささげることとしました。そのための簡素な礼拝順序を週報に掲載し、牧師はその家庭礼拝の礼拝順序に従い、日曜の朝10時30分から礼拝堂で礼拝をささげています。教会のホームページからこの礼拝音声を聴けるようにしました。インターネットを利用していない人もいますので、説教要旨の配付も始めました。祈祷会・昼間祈祷会のみ続け、それ以外の諸集会はしばらくお休みとしました。教会員・関係者に週報をファックスやメール、郵送やポスティングなどで届け、情報を共有しています。4月中旬からこのように過ごしてきました。
 この原稿を書いている時点では(5月22日)、埼玉県はまだ緊急事態宣言下にありますが、宣言解除の日も近いようです。解除となっても、一足飛びにお休み前と同じ活動には戻れません。これからの伝道のため、お互いのために、感染症対策を講じる必要があります。テモテへの手紙二第4章2節「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」とありますが、新型ウイルス感染症拡大は、まさに「折が悪い」と思われます。そんな時でも福音を伝える使命は変わりません。どのようにして使命を果たしていくかが問われていると思います。
 この度のことで当たり前に過ごしてきた日常が失われ、その「当たり前」がいかにお恵みであったかと気づかされました。しかし、今までの活動を吟味する時間も与えられたように思います。「不要不急」と言われましたが、まことになくてはならないものは何であるか、自分がしたいことは何なのか、これからどのように生きるのか、考えた人も少なくないのではないでしょうか。
 さらに、新型ウイルス感染拡大のために、今まで見えにくかった社会の課題が鮮やかにされています。居場所がなく、人とのつながりの薄い人、経済的な格差も浮き彫りにされています。人と人との分断が進んでいるかのように見えます。主の憐れみを祈ります。隣人のために何ができるでしょうか。
 冒頭の聖書の言葉にあるイエスの試練とは十字架の出来事です。十字架にはりつけにされたイエスは、無力で、人の目には何もできないように見えたことでしょう。イエスを憎んでいた人たちは「こいつはこれで終わりだ」と思ったことでしょう。主イエスの苦しみは私たち人間には測り知れません。私たちを救うため、主イエスはこの試練を耐え、十字架から逃げることなく、命をささげきってくださったのです。この試練を引き受けて苦しまれたお方が、教会の頭(かしら)であり、私たちの傍らに常に変わらずいてくださり、何が起ころうとも、試練を受けているあなたを、私を、助けてくださるのです。

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