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2021年1月1日発行 No.631
聞くことは愛のわざ
金田 佐久子
主の年2021年を迎えました。
西川口教会の今年の主題の聖句としてガラテヤの信徒への手紙第5章6節「キリスト・イエスに結ばれていれば・・・愛の実践を伴う信仰こそ大切です」を掲げました。信仰と愛は固く結びついているものです。愛は行いを伴うことを示されます。
ここで「愛の実践」と言われていますが、「だれかに何かをしてあげなくては」と思う人がおられるかもしれません。しかし、その前に知っていただきたいことがあります。
10年以上前ですが、ある講演で、ドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファー(1906〜1945)の著書「共に生きる生活」の「聞くという奉仕」という言葉を、教えていただいたとき、聞くことの大切さに鮮やかに目が開かれたことを、今も忘れることができません。味わい深い文章なので、急がず、繰り返し読んでいただけたらと思います。引用します。
“交わりの中で、ひとりがほかの人に対して負っている第一の奉仕は、〈その人の言葉に注意深く耳を傾ける〉ということにおいて成り立つ。神への愛は、わたしたちが神の言葉を聞くことから始まるように、兄弟への愛の始まりは、わたしたちが兄弟の言葉を聞くことを学ぶことである。神がわたしたちに、ただその言葉を与えて下さるだけでなく、わたしたちにその耳をも貸して下さるということは、わたしたちに対する神の愛である。だから、もしわたしたちが兄弟の言葉に傾聴することを学ぶなら、わたしたちが兄弟に対してすることは、神のわざである。”
他者の言葉に耳を傾けることは、隣人に対する愛のわざであり、神がわたしたちの祈りを聞いてくださるという神のわざに匹敵するというのです。これには驚きました。そしてうなずきました。改めて聞くことの大切さを知りました。
私たちは、朝ごとに、夜ごとに、折に触れ、神に祈ります。そのたびに、神はその耳を私たちのために貸して、私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。私は、祈りは聞かれていることは信じていました。しかし、神が祈りを聞いてくださることが私たちへの神の愛である、と気づいていませんでした。私がそのことに気付かなかったのは「聞くこと」が愛のわざであると知らず、どんなに大切なことであるかに目が開かれていなかったからでしょう。
さらに神が祈りを聞いてくださっていることが私たちへの神の愛なのですから、私たちが神の言葉を聞くことは、私たちの神への愛であると知りました。神は聖書の言葉を通して私たちに御言葉を与えてくださいます。これも神の愛のわざです。そのとき私たちが注意深く神の御言葉に耳を傾けて聞くことが、神を愛することなのです。もし神の御言葉に注意深く耳を傾けて聞くことができなければ、隣人の声に注意深く耳を傾けることはできないでしょう。
こうして祈りのひとときは、神に愛され、神を愛して生きる祝福に満ちたときとなります。神に愛されている自分を発見して、その愛に押し出されて、隣人に仕える者とならせていただけるでしょう。
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