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2021年4月1日発行 No.634

死ぬまで生きる 死んでも生きる

                            金田 佐久子

 「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(ヨハネ11・25〜26)

 「先生、がんになりました」。2月半ばの月曜日に、Sさんから突然のお電話があり、驚きました。聞くと、大腸がんが見つかり、翌月の外来で入院と手術が決まるということでした。「Sさん、がんと言われたとき、どんな気持ちでしたか」とお尋ねしたら、「以前、先生から『死ぬまで生きる、死んでも生きる』という言葉を聞いたので、がんと分かっても、覚悟を持って引き受けることができました」と、はきはきと返事をされたので、そのことに感銘を受けました。「お祈りしますね」と言って電話を終えました。
 その週の金曜日にSさんから再びお電話があり、「先生、明日、洗礼を受けることになりました」と言われたので、びっくりしました。
 私とSさんとの出会いは約10年前、Sさんが西川口教会のホームページを見つけてメールをくださったのが始まりです。悩みがあること、キリスト教に関心がありインターネットで検索をしていたら、西川口教会のホームページにたどり着いたそうです。それから、Sさんに月報を毎月送り、御言葉の分かち合いメールを毎朝送り続けていました。
 Sさんからは年に数回、御礼のメールをいただくくらいでしたが、あるとき「人は死んだらどうなるのですか」と問われました。「神に結ばれている人は死ぬまで生きるし、死んでも生きるのですよ」とお応えした記憶があります。その言葉を大切にしてくださったのでした。
 Sさんは何度か西川口教会の礼拝に来られましたが、東京都区内在住で、礼拝に通うには電車の乗換えも多く、遠いので、地元の教会に行くようお勧めしていました。
 この電話で初めて、8年ほど前から地元の教会の礼拝に出席するようになっていたこと、昨年秋から会堂掃除のお手伝いをしていたことを知りました。そして、その教会の牧師にがんになったこと、これから病気でいつ何があるか分からないから洗礼を受けたいと申し出たこと、教会が急遽対応して、コロナ禍なので、土曜日に洗礼式を執り行う運びになったことを報告してくださったのでした。がんは、あってほしくなかったですが、そのことを通してSさんが洗礼へと導かれたことを神に感謝しました。洗礼式が無事終わったと翌日の日曜日に伺い、Sさんが神の子とされたことを喜びました。
 この巻頭言を書くにあたり、Sさんの了解を得るためお電話したところ、4月4日のイースター礼拝の翌日5日に入院して、その週に手術とのこと。「先生、恐れはありません」と、はっきりと語られ、こちらが励まされました。
 冒頭の聖書の言葉は、主イエス・キリストのお言葉です。力強く響くのは、語られた主イエスご自身が「復活であり、命」そのものだからです。キリストを信じて生きるとは、キリストの命を生きることです。罪を赦されて、キリストの復活の命をいただくという恵みです。この神の大きな恵みの中で、今すでにキリストの命を生きており、死んでもその命を生きることができるのです。体ごと復活する希望を持っています。キリストの命を分けていただいていますから、死に勝つ望みに励まされて、地上の生活を死ぬまで生きます。今日という日を、主に従って生きていきます。

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