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2021年5月1日発行 No.635

神を「父よ」と呼べる喜び 神の子とされた喜び

                            金田 佐久子

 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ、…』」(ルカ11・2)

 「お父さん、お父さん」。高齢の父と二人暮らしなので、私はいつも父を呼び、介助をする時も声をかけて過ごしています。昨年秋、妹が久しぶりに牧師館に来てくれた時、妹に「お父さん」と言って苦笑しました。無意識で言っているからです。
 冒頭の御言葉は、主イエスの弟子たちが「祈りを教えてください」と願い求めた時、主イエスが祈りを教えてくださった箇所です。主イエスがこの弟子たちの願いを良しとされ、まず神を「父よ」と呼ぶことを教えてくださいました。これは意識して、信仰によってお呼びすることです。
 教会はキリストの救いの出来事を毎年記念しています。復活日(イースター)の40日前の受難節(レント)から、十字架へとひたすら向かわれる主イエスを思いつつ過ごします。そしてイースター礼拝でキリストの復活を祝います。復活日から40日後はキリストが天に昇られたこと記念する昇天日で、今年は5月13日になります。その昇天日から10日後、つまり復活日から50日後の日曜日が聖霊降臨日(ペンテコステ)で、今年は5月23日にペンテコステ礼拝をささげます。(ちなみに「ペンテコステ」の元の意味は「50」です。)
 毎週の主日礼拝では「使徒信条」によって教会の信仰告白をしています。私たちはいつも「我は聖霊を信ず」と信仰を言い表しているのです。ではその「聖霊」は、どのようなお方なのでしょうか。聖霊の神は何をしてくださるのでしょうか。これからペンテコステ礼拝に与るにあたり、本当に大事なことですから、改めてそのお恵みを受け取りたいと思います。そのことも、私たち人間の知識や経験だけではできず、聖霊の助けと導きが必要なのです。
 「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(コリント一12・3)とあるとおり、主イエス・キリストを知ることができるのは聖霊によるのです。聖霊の導きによって、聖書を神の言葉として聴き、神を知り、キリストを知ることができます。主イエスの言葉を、復活されたキリストの声として聞くことができるのです。
 主イエスが私たちに、神を「父よ」と呼べるようにしてくださり、そのように祈ってよいのだと祈りを授けてくださいました。これは、神は私たちを神の子として受け入れてくださること、私たちを神の子としてくださるということです。これが福音なのです。そのように、私たちに神を「父」と呼ばせてくださるのは、聖霊によるのです。
 「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます」(ローマ8・14〜16)とあり、こう続きます。「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです」(ローマ8・17)。神の霊・聖霊が、私たちが神の子であると保証してくださいます。そればかりでなく、私たちは神の子ですから、神の相続人とされているのです。驚きです。

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