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2021年6月1日発行 No.636

時はだれのもの?

                            金田 佐久子

 「時間ですよ」。火曜と木曜と金曜は、父がデイサービスに行く日で朝8時30分になったら椅子から立たせて玄関に向かいます。それまでに父を起こし、着替えさせ、朝食を準備し、薬を飲ませます。合間にデイサービスに持っていく荷物をまとめ、連絡帳に記入します。「おはようございます!」とデイサービスのスタッフの方々がお迎えにきて、父を送り出します。こういう朝を過ごすようになって、2年半ほど経ちました。帰宅してから寝るまで、朝と同じように介助しながら過ごしています。
 介護の暮らしが始まり、私はようやく人並みの苦労をするようになったと思います。私は三人きょうだいでしたが、今さらながら、両親の、特に母の子育ての苦労を何も分かっていなかったし、子育て中の教会員への理解も足りなかったと反省しています。働きながら子育てをする若い世代の方々を理解し、寄り添っていく必要があると思います。同時に、教会の働きと介護とを両立して暮らしていくことは、時代の課題の中に生きていると感じます。家族の世話によって、学ぶこと、働くことが妨げられないようにという関心が高まってきました。
 そのような生活で、2020年の春からコロナ禍となってしまい、その対応に迫られてきました。教会も例外ではありませんでした。
 先月半ば、日本基督教団埼玉地区一区教師会が開催されました。2020年度は9月に1度しか教師会がなかったので、久しぶりに先生方にお会いできてうれしかったです。参加した先生全員から、新型コロナウイルス感染対策をしながらどのように教会の働きを進めてきたのかを分かち合いました。緊急事態宣言の間は、無会衆礼拝とした教会もあり、あるいは礼拝出席者をグループに分けて、分散して礼拝をささげた教会もありました。インターネットによって動画配信を始めた教会もあり、ほとんどの教会ではインターネットを使わない教会員のために説教を届けていました。牧師たちは今も、その対応の先頭に立っています。それぞれの苦労を分かち合うことによって、牧師たちが置かれたところで一所懸命に仕えておられることを知り、とても励まされました。
 教師会での私の報告です。
 「西川口教会では、最初の緊急事態宣言のとき、約2ヵ月間礼拝堂の礼拝を休み、家庭礼拝をお願いしました。そのために教会のホームページから牧師と役員有志の礼拝音声を聴けるようにしました。インターネットを使わない方のために、説教要旨を翌週の週報に入れるようにしました。昨年の6月から礼拝堂の礼拝を再開しました。礼拝音声と説教要旨は今も続けています。実は、ホームページのため録音した礼拝音声を聴きますが、初めの頃、説教が聞き取りにくいので、聞いて分かるようにしなくてはと気をつけるようになりました。そうしたら、信徒の方たちから『先生の説教が最近聞きやすくなった』と言われました」。
 コロナ禍ですべきことが増えた中で「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出エジプト20・8)という十戒の第4の戒めを祈祷会で学びました。「時は神のものだ、時を自分のものであるかのように生きてはならない。…安息日は何かを中断するということで、時が神のものだということを承認するのです」(左近淑)という言葉をいただきました。時間に追われることがないように、自戒しています。

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