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2021年7月1日発行 No.637

目を覚まして祈る

                            金田 佐久子

 「おかえりなさい!」
 「いってらっしゃい!」。
 教会は神の家。わたしたちは神の家族です。主日礼拝に一人、また一人、あの人が、この人が集います。そのたびに「今日もおいでになれましたね。おかえりなさい」という気持ちになります。主日礼拝が終わると、互いに平和の挨拶を交わします。心の中で「いってらっしゃい」という思いで平和の挨拶をしています。
 キリスト者は、主日礼拝からそれぞれの置かれたところに遣わされていきます。主日礼拝に与れば(さらに祈祷会に励む方たちもおりますが)、大半のキリスト者は、礼拝の時間よりも圧倒的に長い時間を、置かれたところで過ごしています。
 例えば、同居している私の父は、週3回のデイサービスは朝8時半から夕方5時まで、週末は土曜日の昼食から月曜の夕食まで2泊3日のショートステイです。礼拝は休んでいますが、何とか水曜日の夜の祈祷会に出席し、集会のお恵みをいただいています。
 同様に、皆それぞれ、家庭でも、職場でも、学校でも、他のキリスト者がいない環境で長い時間を過ごしていることです。日本はキリスト者が圧倒的に少なく、人口1パーセント未満ですから。
 そのような中で、キリストの救いの恵みを喜び、神の愛に応えて信仰生活を続けていくには、さまざまな知恵が必要です。主なる神からいただく知恵です。その知恵が身につくためには、時間がかかります。御言葉に聴き続け、御言葉を正しく学ぶときに少しずつ整えられていくものです。
 先日、説教の準備で、目覚める思いにさせられた黙想の言葉に出会いました。
 “…疲れること、眠り込むこと、夢見ることについて、これほどひんぱんに警告が発せられるのは、いったいなぜであろうか。既にキリスト者の第一世代の人々が、この危険にさらされていたらしい。…「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(マタイ26・41)。「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(エフェソ6・18)。「わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう」(テサロニケ一5・5〜6)。…これらの聖書箇所がわれわれに示してくれるのは、神への信仰に目覚めるということと、現実をきちんと見定めるようになることとは、ひとつになるということである。われわれが見るのは、神の恵みによって新しくなった現実である。…イエス・キリストが、罪に勝ち、死に対する勝利を収めてくださっている現実である。…”(「説教黙想集成3」より)
 7月11日は、説教者に島隆三先生をお迎えします。私たちがいよいよ神への信仰に目覚めて祈り続けることができるよう、主を待ち望みます。

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