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2021年8月1日発行 No.638

神が求めておられること

                            金田 佐久子

 「人間は今も昔も変わらないんだね…」。
 最近、祈祷会で旧約聖書の出エジプト記を学んだとき、思わず出てきた言葉です。特に他者との関わりにおいて、どのように生きるべきか教えられ、神が私たちの生活に関心を持ち、これほど細やかに導いてくださるのか、と改めて気付かされました。神は、誰もが平等に扱いを受けることを求めておられます。
 出エジプト記第23章の学びから気づかされたことを分かち合います。少々忍耐してお読みいただけたら、うれしく思います。
「あなたは根拠のないうわさを流してはならない」(1節)。
根も葉もないことを言って、人をおとしめてはならないのです。私たちは、人がどんなにうわさ話が好きか、体験していると思います。
「あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない」(2節)。
私たちはそれぞれ考え方や意見の違いがあります。それは当然のことです。多数者の方が正義で、真実であるとは限りません。また「みんながしている」とか「普通はこうだ」と同調させようとする力も大きく働いています。多数者に追随して、正義がゆがめられことはあってはならないのです。それが神の心です。
「あなたの敵の牛あるいはろばが迷っているのに出会ったならば、必ず彼のもとに連れ戻さなければならない。もし、あなたを憎む者のろばが荷物の下に倒れ伏しているのを見た場合、それを見捨てておいてはならない。必ず彼と共に助け起こさねばならない」(4〜5節)。
自分と対立している人がいて、そのゆえに自分が憎まれる現実があるのです。これも体験している人は多いでしょう。それでも神から「あなた」と呼ばれている「わたし」は、隣人として正しく行動するように求められているのです。これを読んだとき、神に対して「ぐうの音も出ない」という気持ちになりました。
主イエスが山上の説教で「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5・44)と語られた言葉と響き合います。
「弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない」(3節)。
「あなたは訴訟において乏しい人の判決を曲げてはならない」(6節)。
 裁きの公正さを曲げてはならないけれども、同時に乏しい人への権利を曲げてもいけないのです。社会的弱者を虐げることなく、正義を貫くのです。
「あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は、目のあいている者の目を見えなくし、正しい人の言い分をゆがめるからである」(8節)。
法を守るべきはずの法務大臣が選挙で妻を当選させるため賄賂をばらまき、逮捕されるという事件がありました。報道では、知人のカトリック神父に諭されて非を認めたそうですが…。
「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」(12節)。
 安息日の規定は「元気を回復するため」で、人間優先の考え方です。家畜にも配慮があります。「昔、住み込みで働いていたとき休みは月1日だけだった」と祈祷会の出席者より応答がありました。過労死で死ぬ人が後を絶たないこの国です。私たちは何のために働くのでしょうか。誰と一緒に生きるのでしょうか。

 古くて新しい出エジプト記は、現代に生きる私たちに語りかけています。

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