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2021年9月1日発行 No.639

祈るように生きる―愛し愛されて

                            金田 佐久子

 「お父さん、今、食べることが仕事、生きることがリハビリ!」。今朝も父に声をかけました。父の体調は安定していて、自分で食べることができているのは、皆様のお祈りのおかげと信じています。介護は日常になり、穏やかに暮らせて神様に感謝しています。それと関連することですが、介護をする者が心を乱すことなく「何があっても大丈夫!」という気持ちでいると、それが介護される者にも伝わっているという実感があります。そこには、やはり、朝毎に神の言葉をいただく祈りが、自分を整えるために必要で、大切だと思います。
 月刊誌「いのちのことば」の朴栄子(ぱくよんじゃ)さんの連載「泣き笑いエッセイ コッチュだね!」には、認知症のお母様の介護のことが時々書かれていて、興味深く読んでいます。8月号のこの文章に深く共感しました。
 日々多くのことを教えられます。たとえば、いまはもう一人でベッドから起きて立つことも、歩き回ることも、会話もままなりません。娘だけが頼りです。次は何をしてくれるのかな、美味しいものをくれるかな。そんな期待のこもった目でじっと見つめています。あーんと口を開けて、与えられるものは何でも良いものだと疑いません。全面的に信頼するって、こういうことかとハッとさせられます。
 何より驚くのは、内側からいずみのように愛が湧いてくることです。
 以前は脳トレや日常動作が一つでもできると喜び、できないとがっかりしました。いまはもう、そんなことで一喜一憂しません。…できるとかできないとか、そんなことはどうでもよくなりました。存在そのものが愛おしいのです。…”
 朴さんは「親バカ」になぞらえて、お母様が何をしてもかわいいという「子バカ」になった、そうなって初めて、神様は相当な「親バカ」、こんなにも自分は神様に愛されていたのだと知った、というのです。
 私はまだ「子バカ」には至っておりませんが、「全面的に信頼するって、こういうことか」には、本当にそうだと思いました。逆に、私自身、このように神に全面的に信頼しきっているかと問われます。
 前任の島隆三先生から、宿題をいただき思い巡らしていました(西川口だより本年8月号参照)。「はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:19〜20)を、それぞれ自分の思いや経験に当てはめて、考え、実践していただきたい、と。
父との暮らしが、この主イエスの御言葉に従うものであるようにと思います。さらに生活の一つひとつが祈りのように、つまり祈るように食べる、祈るようにお世話をすることではないか、と思いました。合わせて、ヨハネによる福音書の主イエスの御言葉を思い起こしました。
 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13・34〜35)。
 神の独り子は命をささげるほど私たちを愛してくださいました。ですからキリストの弟子たちは互いに愛し合って生きるのです。そこにキリストはおられます。

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