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2021年12月1日発行 No.642
神は待っておられる
金田 佐久子
昨年から続くコロナ禍の中でも、西川口教会では、今年は主日礼拝・夕拝、水曜と木曜の祈祷会を休まずに続けることができました。
祈祷会では、まず聖書を学び、次いで祈りの課題と近況報告を分かち合い、最後に皆で順番に執り成しの祈りを献げます。今年の祈祷会では旧約聖書の出エジプト記にじっくりと取り組んできました。出エジプト記はその名のごとく、イスラエルの人々がエジプトを脱出する救いの出来事が中心にあります。さらに神に救われた民がどのように生きるべきか、その道が、十戒を基礎とする戒めとして記されています。戒めはただの文字ではなく、生ける神が語られ、生きて働く神の言葉です。
11月末の祈祷会では、出エジプト記第34章29節以下で、とても興味深いことが書いてありました。
「モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった」(29節)。
モーセは神によって選ばれて、イスラエルの人々の指導者となりました。彼は神の御意志を民に取り次ぎ、また民のために神に執り成す仲保者でありました。そのモーセが神と語っているうちに、自ら知らぬ間に顔が輝くようになったというのです。モーセが山を降りて、民のもとに戻ったら、モーセの顔が輝いていたので、イスラエルの人々が恐れて近づけなかったのでした。モーセは、自分が輝いているのに初めは気づかなかったのです。神がモーセを輝かせられたのであって、モーセが自ら輝こうとしたのではないのです。モーセが神の言葉を受け取り、民に神の言葉を取り次ぐときは、いつでもモーセの顔が輝いていました。
これは私たち教会に生きる者たちにも喜ばしい約束です。私たちも、神との親しい交わりの中に身を置くと、知らぬ間に、神の栄光を映し出す存在、神の輝きを放つ者として神が新しく造ってくださるのです。
「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」(コリント二4・6)。
「わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです」(ヨハネの手紙一1・3)。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブライ13・8)。
今年のアドベント(待降節)は11月28日から始まりました。クリスマス(降誕日)を待つ備えの期間です。それは、再び来てくださる再臨のキリストを深く待ち望む日々でもあります。
先日、説教塾の学びで、私たちが待つのではなく、神が待っておられる、と知らされました。神は伝道命令と、招きの御言葉を与えつつ、神の言葉の説教が語られ、神の言葉を聴くという教会の奇跡を待っておられるというのです。神が待っておられる。神はご自身の光を与えようと、御言葉をもって、祝福をもって私たち一人一人を待っていてくださる。だからこそ私たちは、今この時、何が起こっても、主なる神を待ち望むことができるのです。
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