トップページに戻る西川口だよりに戻る

2022年1月1日発行 No.643

主は慈しみ深い

                            金田 佐久子

 コロナ禍で迎える2度目のクリスマスシーズンとなり、主の年2022年となりました。
 キリストの御降誕を祝うクリスマスに備えている中で、私は祭司ザカリアの存在を、今の状況と重ね合わせる思いがしていました。イエス・キリストの宣教の生涯を書いているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書ですが、そのうちのマタイとルカだけが、イエスの誕生の出来事を書いています。祭司ザカリアはルカ福音書第1章だけに登場します。主イエスの宣教に先立って登場した「洗礼者ヨハネ」の父となった人物です。
 ヘロデ大王の時代のことです。祭司にザカリアと妻エリサベトは、神の前に正しく生きていました。しかし、2人には子供がなく、既に年を取っていました。
 あるときザカリアはくじで選ばれて聖所に入って香をたくことになりました。務めをしているとき、神の天使が現れました。ザカリアは天使を見て恐怖の念に襲われました。天使は「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子は聖霊に満たされ、神の民を主に立ち帰らせる人になる」と告げました。ザカリアは「自分たちはもう年をとっています」と言って、神の言葉を信じませんでした。天使は言いました。「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」。
 聖所の外では人々がザカリアを待っており、彼が聖所で手間取るのを不思議に思っていました。やっと出て来たザカリアは話せなくなっていました。務めの期間が終わって、ザカリアは自分の家に帰りました。何と不思議なことに、その後、妻エリサベトは身ごもったのです。
 その出来事から半年後、おとめマリアに天使が訪れて、救い主の誕生を予告しました。救い主を宿したマリアは、親類のエリサベトを訪ね、約3ヶ月滞在し、家に帰りました。
 やがて月が満ちて、エリサベトは男の子を産みました。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合い、その子に命名をする時、人々は父の名を取ってザカリアと名付けようとしました。エリサベトは「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言いました。しかし人々は「あなたの親類に、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、ザカリアに「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねたところ、ザカリアは字を書く板を出させ「この子の名はヨハネ」と書きました。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めたのです。
 人の目にはザカリアが聖所の務めに手間取っていたように見えましたが、実は、思いがけない神(天使)の訪れであったのです。不信仰のために口が利けなくなりましたが、ザカリアの願いのとおり、エリサベトは身ごもりました。マリアの訪問は間接的な救い主の訪問でもありました。こうして神の出来事を目の当たりにして、沈黙の中で、ザカリアの心には、神への賛美があふれていたのではないでしょうか。コロナ禍で歌うことにも制約がある現在です。私たちの人生にも手間取るように思えることもあります。「もう年です」と言うこともあります。しかし、ザカリアに目を留めてくださったように、神はそんな私たちを顧みてくださいます。ヨハネという名は「主は慈しみ深い」の意味です。慈しみ深い主を沈黙の中で、ほめたたえることができますように。

トップページに戻る西川口だよりに戻る