トップページに戻る西川口だよりに戻る

2022年3月1日発行 No.645

三浦綾子生誕100年

                            金田 佐久子

 「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14・6)。

 雑誌「いのちのことば」3月号の特集記事「三浦綾子生誕100年」を読みました。刺激を受けて、三浦綾子さんの自伝小説『道ありき』(青春編)を読み感動を新たにしました。数年前、旭川で開催されたこころの友伝道全国大会では、三浦綾子読書会代表の森下辰衛先生の講演を伺ったことを思い出し、改めて資料に目を通しました。森下先生の講演要旨から三浦綾子文学の紹介をしたいと思います。

 「三浦綾子の文学の根源は、人間が人間として人間らしく生きられるようにという祈りである。しかしそれを阻むものが二つあると綾子は考えた。一つは罪でもう一つは苦難。苦難の時に人は、人生に与えられた良き物を奪われて打ちのめされ、生きる気力を失い、自分の人生と世界と神を否定してしまう。しかし、罪に対する解決も苦難を超える道もあるのだと、物語と人物たちを通して、示してゆくのが三浦綾子の心であり、仕事だった。…」(特別講演Ⅱ「苦難の中でこそ人生は豊かなのです―三浦綾子『泥流地帯』から」)

 「敗戦による教科書に墨塗りによって大きな挫折と絶望に陥った堀田綾子は、1946年結核を発病。1949年斜里の海で自殺未遂をして旭川に帰ってきた。幼馴染のクリスチャン前川正は彼女を旭川市郊外の春光台の丘に誘い出した。前川正も結核に冒され北大医学部を休学中だった。生きる目的を見出すようにと諌める前川の言葉を綾子は拒絶し、煙草に火をつけた。
 
〝「綾ちゃん! だめだ。あなたはそのままではまた死んでしまう!」
 彼は叫ぶようにそう言った。深いため息が彼の口を洩れた。そして、何を思ったのか、彼は傍らにあった小石を拾いあげると、突然自分の足をゴツンゴツンと続けざまに打った。〟〔『道ありき』より〕

 あなたを救う力のない不甲斐ない自分を罰するというこの前川の姿の背後に、綾子はかつて知らなかった光を見たような気がした。…人間として、人格として愛してくれたこの人の信ずるキリストを尋ね求めたいと思い始める。
…何かを信じるなんて愚かだと思う。だけどこの人を信じて着いていってみようと思った。この三年後堀田綾子は札幌医大病院のベッドで洗礼を受け、キリスト者となるが、その一年半余りのち、自身も結核だった前川が逝く。しかし、その一年後現れた三浦光世に愛され励まされた綾子は四年後の1959年、奇蹟的に癒されて結婚、三浦綾子となる。そして数年後、雑貨店を営みながら書いた小説「氷点」によって作家となり、以降三十年間、多くの人に勇気と希望を与え神の愛を伝える小説を書きつづける。夫光世は病弱な妻の為に口述筆記をし、献身的に介護した。
…前川正は言った。『綾ちゃん、人間はね、一人一人に与えられた道があるんですよ…ぼくは神を信じていますからね。自分に与えられた道が最善の道だと思って感謝しているんです』。一人一人に道があるという希望を物語は語っている。…」(特別講演Ⅰ「希望とは〝にもかかわらず愛すること〟―三浦綾子『道ありき』から」)

 「人間が人間として人間らしく生きられるように」とは造り主である神の思いではないでしょうか。神と出会い、希望を証しする三浦文学作品。ぜひ手に取ってください。

トップページに戻る西川口だよりに戻る