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2022年5月1日発行 No.647

苦難の意味―ヨブ記を学び始めて―

                            金田 佐久子

 今年の1月19日から水曜日と木曜日の祈祷会で、旧約聖書のヨブ記を少しずつ学び始め、現在第10章までたどり着きました。出席者からは「難しい! 分からない!」と声が上がっていますが、今の時代にも通じる言葉、心を揺さぶられる言葉との出会いもあり、驚かされています。難しいからこそ、独りでは分からないからこそ、共に学び、ヨブ記を読み終えることを目標に、興味を持って、読み進めています。
 ヨブ記を読み解く手掛かりとして、並木浩一著『ヨブ記注解』(日本キリスト教団出版局)を用いています。東京の教会の友人の牧師に「これは良い本ですよ!」と勧められたこともきっかけでした。以前、東京説教塾で並木先生の講演を聴いて感銘を受けたこともあり、この本を手に取りました。私は、本や雑誌の「あとがき」や「編集後記」から読むタイプの人間で、この本でも「あとがき」をまず読みました。執筆に至る動機や刊行までの経緯が詳しく記されて、楽しく読みました。出版の打診があったのが2016年6月で、諸事情のため並木先生が執筆を始められたのは2018年の秋。2020年1月末に原稿を提出されましたが、並木先生は納得がいかず、2月末に再提出されたとのこと。「編集者が希望していた期日を3年も超過していた」とありました。レイアウトや校正作業を経て、2021年6月に刊行。書く方も、待つ方もご苦労があったのだと思いました。
 並木先生のヨブ記の原稿が出され、出版が進められている頃、世界中が、新型コロナウイルス感染症に悩まされるという苦難に見舞われていました。ヨブ記は、非の打ち所がない義人ヨブに、身に覚えのない災難が次々と下され、その苦難の意味を神に問う文学です。「なぜこのような苦しみが私に下されなければならないのか」という問いをヨブが抱きます。このヨブの苦悩は、コロナ感染始め、このことによって困難に見舞われた多くの人々の苦悩が重なるように感じられます。諸事情のためとはいえ、出版が予定より遅れたことで、まさにコロナ禍のただ中で『ヨブ記注解』が刊行されたことに、不思議な神の時、神のお計らいのような気がします。
 この注解書が刊行されたことがきっかけで、昨年末、並木浩一先生はNHKラジオ「宗教の時間」に出演されました。タイトルは「苦難の意味―『ヨブ記』を読み解く」。録音して、今も繰り返し聞いています。苦難の意味、人間の尊厳、人間の自由、人間が責任を負って生きること、応報思想、被造世界との人間との関係など、ヨブ記から学べることはたくさんあると教えられました。祈祷会では、ヨブ記を丁寧に読むことによって、それらを発見したいと思います。
 終わりに、時代を超えて、多くの人々を慰め励ましてきたヨブの言葉を紹介します。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ1・21)
「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」(ヨブ2・10)

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