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2022年9月1日発行 No.651

いついかなる時も平和を

                            金田 佐久子

 
  どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。(テサロニケ二3・16)

 今年も8月は、マスメディアで太平洋戦争をテーマに数々の特別番組が提供されました。月報「西川口だより」8月号も年配者の戦時下の体験の特集を掲載しましたが、いつにも増して知人・友人から大きな反響がありました。関心の高さは何と言っても、今年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻が半年を過ぎ、一向に終わりが見えず、まさに、今この時も、戦争による犠牲者が増えていく現実があるからだと思います。
 やはり戦争をテーマにしたあるラジオ番組を聞いたとき、冒頭の語りで、立ち止まらされた思いになりました。今年は太平洋戦争の敗戦から77年ですが、敗戦の1945年の77年前は明治維新ということ。ですから太平洋戦争の終結が折り返し地点のように、今年から遡る154年間の明治維新から敗戦までの77年と戦後の77年、この国はどのように歩んできたのか、これからこの国はどこへ行くのか、問われました。
 8月15日、日本基督教団埼玉地区社会委員会主催の第23回「平和を求める8・15集会」に参加しました。講演題は「思いっきり平和で行こう! ウクライナ侵略戦争と日本国憲法9条」、講師は東京基督教大学学長の山口陽一先生でした。
 丁寧に分かりやすくまとめられた講演資料をいただきました。資料の冒頭には「…歴史の反省と『憲法』について、教会の視点から学びたいと思います。まず聖書から、王にとっての律法の意義を学び、大日本帝国憲法と戦争、敗戦と日本国憲法の成立を振り返ります。…」とありました。先のラジオ番組から問われたことを、講演の言葉で言うと、太平洋戦争敗戦までの77年間は「1874年の台湾出兵以来、大日本帝国は国際紛争を解決する手段として戦争を続け」たということ(資料3頁)。敗戦からの77年間は「〈歴史的な反省〉の不徹底と〈平和構築の原理〉の揺らぎはあるものの、戦後77年、日本は国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄して、これを日本国の国柄としてきた」(資料6頁)と言えると思います。
 山口先生が講演の最初に旧約聖書申命記第17章の御言葉を語られました(〔 〕に説き明かしを挿入)。
「…王は馬を増やしてはならない〔軍縮〕。馬を増やすために、民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。『あなたたちは二度とこの道を戻ってはならない』〔歴史の反省〕と主は言われた。王は…銀や金を大量に蓄えてはならない〔足るを知る〕。彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる」(16~20節)。
 王は神によってエジプトから解放された一人にすぎず、同胞を軽んじることは許されません。王は民をあごで使う権力者ではありません。現実の王はこの理想からは遠く離れていました。神は民を見捨てず、独り子イエス・キリストを遣わされました。主イエスはまことの王として、十字架を担って救いを果たされます。

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