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2022年11月1日発行 No.653
神の賜物としての自由
金田 佐久子
今年の1月から、祈祷会で旧約聖書のヨブ記を並木浩一先生の「ヨブ記注解」(日本キリスト教団出版局)を手掛かりに学び始めました。ヨブ記は言葉も議論の仕方も難解なので、祈祷会に集う仲間と一緒だから読み続けられていると思います。
この秋、並木先生と小説家の奥泉光氏による「旧約聖書がわかる本〈対話〉でひもとくその世界」(河出新書)が刊行されました。対談形式による旧約聖書の概説書。奥泉氏の「まえがき」によると、奥泉氏は学生時代に旧約聖書の魅力を並木先生から学ばれました。奥泉氏に旧約聖書の本を出す話があり並木先生に相談に赴いたところ、先生より対談形式はどうかと提案があったこと、本の企画は「ヨブ記注解」の執筆準備をされていた時期と重なっていたので、最終章のヨブ記に多くの頁が割かれることになったとのことです。何とタイムリーな出版と喜び、興味深く、楽しく読んでいます。
ヨブは、自分を慰めに来てくれた友人たちに強い言葉で反論していますが、神に対しても非常に強い言葉で訴えており、驚かされます(例えば、ヨブ記第19章6節「知れ。神がわたしに非道なふるまいをし」など)。しかし逆に言えば、人間にそれだけの自由を神が許しておられることでもあるのです。
この自由の問題について先の対談本から紹介しましょう。創世記第1章をめぐっての対話です。
並木 …〔「我々に似せて、人を造ろう」(創世記1・26)〕は神の自己内対話なんだと思う。神が自分自身に語りかけ、答えを求めている。つまり人間…を…つくったら、それに対して責任を取らなくてはいけない。人間を神に対して応答すべき存在としてつくるわけでしょう。ところが、これが二章以下の面白いところですが、神がつくった人間は神に自発的には応答しない。むしろ神との関係を壊す。神に反逆するんですよ。そういう自由がないと、交わりができない。…
奥泉 なるほど。たしかにこの後、有名なエデンの園に話がつながっていくわけだけど、そこではせっかくつくった人間は神に逆らってばっかりですものね。アダムしかり、カインしかりで…結局は洪水でノアの家族以外全部滅ぼしちゃおうということになる。…
並木 そう、失敗に終わったんだけど、聖書は常に二面的に考える。一つの原理だけで考えないというのが聖書の特徴。人間をつくるときに我々に似せてつくろうと言った。人間に自由を与えるわけですよ。それは取り消されていない。
奥泉 ここは大きいポイントですね。
並木 反抗できる能力がなければ自由とは言えない。自発的に応答しなきゃならないから。
奥泉 悪をもなせる者が善をなすのでなければ意味がない。神は最初から善しかなしえない者に人間をつくったってよかったんだけど、そうはしなかった。
並木 そうそう。だから二章以下はネガティブな形での自由の表現なんですよ。人間に自由を与えたという神の決断が否定されているわけではない。だけど人がその自由を間違って行使すると、神はノーと言うぞと語る。二重性がある。…
神は人間に自由をお与えになりました。「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8・32)を思い起こしました。キリストは、私たち人間を神に自発的に応答する自由な存在へと造りかえてくださいました。
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