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2023年3月1日発行 No.657

「あなたのために祈った」

                            金田 佐久子
 教会の暦は、2月22日からレント(受難節)に入りました。主イエス・キリストの十字架と復活の出来事を黙想する日々です。今年のイースター(復活日)は4月9日です。
 現在、祈祷会ではヨブ記を学び、旧約学者の並木浩一先生の『ヨブ記注解』を読んでいます。一昨年末、並木先生はこの本の刊行がきっかけで、NHKラジオ番組「宗教の時間」に出演されました。今年の1月の祈祷会でこの録音を聞きました。並木先生が語られた言葉から心を動かされたものを一つご紹介します。
“…共同性を作り上げていく力が、やはり、旧約聖書のヨブ記のような書物にはあると思うのですね。だから、宗教の意味ということを考えるときに、どこまで共同性を作り上げる思想たり得るのかということが問われなければならないと思います。私はね、あまり論理的な言葉を信用して満足したくないのですよ。結果的に共同性を作り上げられる考え方、思想であるかどうか、信仰のあり方か、というものを問いたいと思います。”(太字は金田)
この並木先生の言葉を味わいながら、ルカ福音書第22章、主イエスが十字架を前にして、弟子たちと共に過越の食事をされたときの出来事を見ていきたいと思います。
主イエスは新しい過越の食事である主の晩餐を定められた後で、ご自分が去っていかれること、弟子たちの中から裏切る者が出ると語られました。このようなとんでもないことが語られたのに、弟子たちは「自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか」と議論を始めました。そこに主イエスが介入され、「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」(26節)と語り、神の国では、神があなたがたを座に着かせてくださると約束してくださいました。
 次に、主イエスの言葉はシモン・ペトロに向けられました。ペトロは弟子たちの中心的人物と思われている人です。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」(31節)。これはヨブ記を思わせます。シモン・ペトロはサタンの試みにより、信仰を無くすほどの危機に陥るというのです。ペトロは「御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と立派なことを言いました。イエスは「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」と言われました。
 弟子たちの議論も、ペトロの立派な言葉も空しく終わりました。主イエスがユダヤ当局に逮捕されたとき、弟子たちは皆逃げてしまい、ペトロは「イエスを知らない」と3度も言ってしまいました。
 主イエスがペトロに語られた次の言葉こそ、共同性を作り上げるものです。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32節)。
 信仰は主イエスの執り成しによる賜物であって、神は何があっても共にいてくださる。ペトロは復活のキリストに弟子として立ち直らされ、再生しました。ペトロは立派な言葉ではなく、どんなに自分のことを分かっていなかったか、主イエスがそんな自分をすべてご存じで、先立って赦してくださっていたかを語り、「だからあなたも大丈夫!」と、隣人を力づける人に変えられたのです。私たちもそのように生かされます。それこそ「仕える者のようになる」ことなのです。

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