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2023年4月1日発行 No.658

天にも地にも大きな喜び!

                            金田 佐久子

 今年の受難週は4月2日の棕梠の主日から始まります。4月7日は主イエスが十字架につけられた出来事を記念する受難日。イエスが復活された出来事を記念するイースター(復活日)は4月9日です。礼拝によって主イエス・キリストの復活を心からお祝いできますように。
 ルカによる福音書第15章に、私の大好きな主イエスのたとえが記されています。
 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカ15・1~7)。
 このたとえを語られているのがイエスであることが重要です。このたとえの羊飼いは、主イエスご自身を指しているからです。羊とは罪人であるすべての人間です。マタイ福音書第18章に同じたとえがありますが、そこでは「迷い出た」羊となっています。ルカ福音書では「見失った」羊です。実際は迷い出たから見失ったのでしょうが、ルカ福音書では、羊は初めから終わりまで羊飼いのものであり、あくまでも羊飼いの視点で語られています。ご自分のものである、かけがえのない一匹の羊が、迷い出たままでいることを願わない、見失ったままでいることにじっとしてはいられない、何としても捜して見つけ出すのだ、という主イエスの並々ならぬ熱い心を感じて、私は胸が熱くなります。
 受難節から復活節の日々を過ごしています。復活された主イエスが、弟子たちを訪れた出来事を思い起こします。この主イエスの訪れに、一匹の羊を追い求める羊飼いの姿が重なります。
 主イエスの弟子たちにとって、師であるイエスが捕らえられ、ローマ帝国において極刑である十字架につけられたとは、たいへんな衝撃でありました。頼みにしていたイエスが自分たちから離れ去って、死んでしまい、自分たちも捕らえられるかもしれないと恐れたでしょう。その上、週の初めの日の朝、イエスの墓に行った女性の弟子たちが「イエスは生きておられる」と言いに来て、とても信じられず、たわごとだと思いました。弟子たちは部屋に閉じこもっていたのです。復活の主イエスは、そのような疑いと死の恐れに捕らわれた弟子たちのただ中に来られ、真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言われました(ルカ24・36)。まだ信じられない弟子たちに対して、焼魚の一切れを取って、弟子たちの前で召し上がり(ルカ24・43)、ご自分が亡霊ではなく、本当に死から復活されて生きておられることを証しして、弟子たちの疑いと死の恐れを打ち砕いてくださいました。主イエスが一所懸命に捜して、見つけてくださいました。父なる神と主イエスが天で喜んでおられます。その喜びを共にします。

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