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2023年7月1日発行 No.661

荒れ野を旅する神の民
―危険と約束に向かい合って

                            金田 佐久子

主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。(申命記8・3)

 “神はその民に「人はパンだけでは生きず、主の口から出るすべての言葉によって生きる」ということを教えようとされました。これは、神の民が〔約束の地である〕カナンの地に入る前に、よくのみこんでいなければならない大切な教えなのです。この一つのレッスンを教えるために、四十年の歳月をかけようと神はお決めになったのです。ご注意ください、一つのレッスンのために四十年をです! なんとゆっくりとして、なんと根気づよいことでしょう! …神がこれに四十年の歳月をつかうことを決められたとすれば、その教えは神にとってたいへん重要なものであったにちがいありません。…”(小山晃佑著『時速五キロの神』)

 神の民イスラエルは、奴隷状態にあったエジプトを脱出し、約束の地カナンを目指して荒れ野を旅します。荒れ野とは、なじみ深い場所から遠く隔てられたところです。種を蒔くことも耕すこともできません。荒れ野では、悪魔も近づいて、ささやきます。「信じていても何になる。お前の神はどこにいる」と。神の民は、荒れ野で、飢えの危険とマナの約束に囲まれて歩んでいきました。
 神の民の荒れ野の旅は、私たちの信仰生活を示しています。荒れ野とは、私たちが危険と約束に向かい合っているところです。現代に生きる私たちもまた、時代の危険や不安に取り囲まれています。新型コロナウイルス感染症とその影響、ロシアのウクライナ侵攻、国内外で人間の尊厳が軽んじられている多くの出来事に心を痛めています。自分や家族が思いがけない病やケガを負った。死の不安を感じること。そのような危険に投げ込まれるとき、パンにその危険を乗り越えさせてくれる力があるでしょうか? 人にはパンが必要ですが、人は主なる神の確かな言葉を必要としているのです。
 危険の中で神の約束の言葉を聞くために、今年も、西川口教会アシュラムが備えられました。ぜひ参加してください。

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