トップページに戻る西川口だよりに戻る

2024年6月1日発行 No.672

祈りを学び、仲間を得る

                            金田 佐久子


 「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」(ルカ11・1)
 主イエスの弟子たちがこう願い出て、私たちの主は願いに応えて「主の祈り」を教えてくださいました。
使徒パウロはこう語っています。「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる…」(ローマ8・26)。
 改めて、私たちはどう祈るべきかを分かっていないこと、だからこそ祈りを教わる必要があること、祈りと聖霊には深い関係があることを知ります。人は孤立していては祈れません。主イエスが祈りを教えられ、聖霊が私たち一人ひとりのために絶えずうめきつつ執り成してくださるからこそ、祈ることができます。さらに地上の生活においては、信仰の仲間が祈りを教え(聖書の言葉も、代々の聖徒たちの祈りも含めて)、祈ってくれます。聖霊が祈りの群れである教会を造り上げてくださいます。今月末の西川口教会アシュラムではこのことを体験します。
 ともすると私たちは、自分の心の扉を閉ざしてしまいます。苦しんでいるとき、病んでいるとき、自分を誇っているときさえも、共に生きようとしないことがあります。そうであってはなりません。私たちを祈りによって結び合わせてくださる神の働きに、共に与かりましょう。

 マザー・テレサの「解放」という祈りを紹介いたします。

イエスよ、わたしを解放してください。
愛されたいという思いから、
評価されたいという思いから、
重んじられたいという思いから、
ほめられたいという思いから、
好かれたいという思いから、
相談されたいという思いから、
認められたいという思いから、
有名になりたいという思いから、
侮辱されることへの恐れから、
見下されることへの恐れから、
非難される苦しみへの恐れから、
中傷されることへの恐れから、
忘れられることへの恐れから、
誤解されることへの恐れから、
からかわれることへの恐れから、
疑われることへの恐れから。

訳・片柳弘史
(『祈りのともしび 2000年の信仰者の祈りに学ぶ』より)



トップページに戻る西川口だよりに戻る