2024年10月1日発行 No.676
「人の痛みに聴き、寄り添えますように」
金田 佐久子
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わたしは傷を持っている
でも その傷のところから
あなたの やさしさが しみてくる(星野 富弘)
9月16日(敬老の日)、『21世紀のエステル会』による「7周年記念シンポジウム」が、日本基督教団白鷺教会にて開催されました。「教会でもがん哲学外来カフェを始めてみたら…」をメインテーマに、私も含めたエステル会のメンバーで“全国に広がったがん哲学外来メディカルカフェを「教会」が担う「使命」や「意味」とは何か、講演とグループトークを通して、一緒に考えてみよう”と計画しました。
講師の友納靖史先生(常盤台バプテスト教会牧師・常盤台めぐみ幼稚園園長)の講演「人の痛みに聴き、寄り添えますように~全人的ケア(スピリチュアルペイン)」は分かりやすく、こころの奥深くまで揺さぶられるお話でした。友納先生は冒頭で「講演題『人の痛みに聴き、寄り添えますように』とは私の祈りです」と言われました。自分が寄り添うことができるとか、寄り添い方を教えるのでもありません、祈りです、と。全人的ケアとは人が負う、身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛、霊的苦痛へのケアです。私たちはそこへどのように寄り添うことができるのかと問われました。ここでは印象に残った「『絵本で』のアプローチ」を紹介いたします。
絵本「さっちゃんのまほうのて」の主人公のさっちゃん(以下S)は幼稚園に通っている女の子。Sの右手は生まれつき五つの指がありません。Sは幼稚園のおままごとで「あたしだって、おかあさんになりたい」と友だちに言うと「さっちゃんはおかあさんになれないよ! だって、てのないおかあさんなんて、へんだもん」と言われてしまいました。Sは幼稚園を飛び出し、家に戻り、お母さんに「どうしてさちこのては、みんなみたいにゆびがないの?」とききました。お母さんはぎゅっと抱きしめて「さちこは、おなかのなかでけがをしてしまって、ゆびだけ、どうしてもできなかったの。どうしておなかのなかでけがしてしまうのか、だれにもわからないの」と答えました。Sが「しょうがくせいになったら、さっちゃんのゆび、みんなみたいにはえてくる?」とききました。お母さんはつらいことですが、思い切って言いました「さちこのては、ずっといまのままよ」。Sがどうしてお母さんのお腹の中でけがをしたのかは誰にも答えられない人生の問題です。これからも自分の手がこのままであるとは、Sが負わねばならない人生の苦悩です。Sは、ままごとだけではなく、将来もお母さんになれないかもと不安と恐れを抱きます。どうして自分だけがこのような手で生まれたのかと怒り、悲しみます。そんなSが、お父さんの言葉に救われます。「さっちゃんとてをつないでいると、とてもふしぎな力がやってきて、おとうさんのからだいっぱいになるんだ。さっちゃんのては、まるでまほうのてだね」。お父さんにそう言ってもらえたことで、Sはまた幼稚園で元気に遊べるようになります。遊具に登るSを友だちが心配すると「へいき! だってさっちゃんのては、まほうのてだもん!」と力強く言えました。Sの体の障害は変わりません。しかしありのままの自己を受容できました。それが全人的健康の回復へと向かうのです。
「人の痛みに聴き、寄り添えますように」。私の祈りといたします。