2024年12月1日発行 No.678
「勇ましい高尚なる生涯」
金田 佐久子
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クリスマスを前にしています。2024年も終わりに近づいてきました。今年の元日の能登半島地震、その被災地に豪雨の被災も加わり、息の長い支援が求められます。ウクライナやパレスチナの戦争も終わらず平和を祈ります。この混迷の時代をどう生きるのか。最近読んだ『いのちの言葉を交わすとき「青年の夕べ」感話集』より感銘を受けた言葉を紹介したいと思います。
“…私が〔基督教独立学園〕高校三年目に一年をかけて校長先生と一対一で学んだ『後世への最大の遺物』〔内村鑑三〕から今の自分に通じる言葉…を紹介します。…
「…人間が後世に遺すことの出来る、そうしてこれは誰にも遺すことの出来るところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。…すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。【中略】
…もし私に家族の関係がなかったならば私にも大事業ができたであろう、あるいはもし私に金があって大学を卒業し欧米へ行って知識を磨いてきたならば私にも大事業ができたであろう…。しかれども種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。とにかく反対があればあるほど面白い。われわれに友だちがない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。われわれが神の恩恵を享け、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。…」
私は、今こそその時だと思います。
コロナ禍で、苦労、悲しみ、大変さ、自分の生きている時間の不都合、それに対する自分の生き方への反対を味わってきました。…”
こうも書いておられます。“優しいことは良いことだけど、その優しさから生まれた善意は、時に悪意より強力に私の心をえぐっていく。そんな綺麗ごと、優しさは、もういらないんです”と。自分は、不都合や反対に打ち勝つことで、世界は本当に面白くなる、自分の人生を豊かにしてくれる真実を握りしめて、誇りを持って生きていきたい、と。
若い世代の感性の鋭さに心を動かされました。その声に耳を傾ける心を持つことができますように。