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2025年3月1日発行 No.681

教会創立75周年を迎えて②
―イエスの祈り

                            金田 佐久子

 今年のイースター(復活日)は4月20日です。教会はイースターに先立つ40日間(日曜日は含めず)を「レント」(受難節)と呼び、イースターへの備えの時として、イエス・キリストの十字架の歩みを思い巡らします。レントの始まる日は「灰の水曜日」と呼ばれ、今年は3月5日になります。
 3月23日に、日本基督教団志木教会の横山基生先生をお招きして西川口教会創立75周年記念礼拝をささげます。レントの間に記念礼拝を行うよう導かれたことに、神のお計らいを感じます。
 主日礼拝では、昨年からヨハネによる福音書の説教を続け、共に御言葉に耳を傾けてきました。ヨハネ福音書第17章には、他の福音書と異なり、イエスが逮捕される前に、父なる神(以下「御父」)への長い祈りがあります。御子イエスはいつも御父と共におられ、イエスの祈りは御父との対話です。第17章も対話なのでしょうが、イエスの側からの語りかけだけが記されています。電話で話しているのをそばで聞いているように、私たちに聞こえるのはイエスのお声だけです。その内容は、私たち人間の救いに関することです。イエスは私たちのことばかり語っておられるのです。
 「わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じた…。…彼らはあなたのもの…」(8、9節)。御父と御子と聖霊は、完全なチーム・ワークでそれぞれの役割を果たし、互いを尊重しつつ、世の救いのためにお働きになります。御子は御父より御言葉を受け、その御言葉を弟子たちに伝え、弟子たちは、イエスが御父のもとから来られた御子であることを知り、信じました(そこには当然、聖霊のお働きが不可欠です)。神の救いを信じたイエスの弟子の集まりが教会なのです。教会は御父のもの、神のものです。
 「聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです」(11節)。イエスの弟子たち(教会)を守ることができ、守っておられるのは、牧師でも信徒でもなく、御父であり御子です。御父と御子が一つであるから、教会は聖霊により一つにされます(エフェソ4・3参照)。
 「世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。… わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです」(13、15、16節)。御子の喜びとは、御父との愛の交わりから来る喜びです。救われて神の子とされた者たちは、御父と御子との交わりに招き入れられています。教会(神の子たちであり、イエスの弟子たち)は、世に属しませんが、世に身を置いて、世に染まらず、世を救う福音の宣教という使命を与えられています。このためにイエスは「彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです」(19節)と祈られ、ご自身を十字架にささげてくださいました。
 「また…彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします」(20節)と、主イエスは私たちのためにも祈ってくださいました。

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