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2025年7月1日発行 No.685

三位一体の神を信ず~神は愛の共同体

                            金田 佐久子


 以前、キリスト教放送局日本FEBCの番組で、日本正教会の司祭の方が、正教会で大切にしているイコンを紹介してくださいました。アンドレイ・ルブリョフの『至聖三者』というイコンです。このイコンは「あらゆる人知を超える神の平和」(フィリピ4・7)という神秘を表している、と語られました。三者が少しの曖昧さもなく、くっきり描き分けられていて、誰が中心でも支配者というのでもなく、でしゃばりもせず、ゆったりしたくつろぎの中で交わりを保っています。三位一体の神そのものを描くことができませんが、このイコンの三人の天使の存在が、三位一体の神の調和と一体性を表しています。静かに見つめていると、三位一体の神への黙想に導かれ、確かに神の内には愛と平和が満ちていることを示されます。
 聖書の神は父・子・聖霊なる三位一体の神として、永遠から永遠まで愛に満ちあふれておられます。ヨハネの手紙一第4章16節には「神は愛です」とあり、同じ4章の7節には「愛は神から出るもの」とあります。神は愛を本質とするお方です。
 神は目に見えるお方ではありません。「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」と主イエスが語っておられます(ヨハネ4・24)。愛に満ち満ちておられる神は生きておられ、霊であられます。
 神は愛ですから、父と子の間に愛の豊かな交わりがあります。それはすべて聖霊のお働きによるものです。神は愛の共同体であられます。ですから神はお独りでも淋しいことがありません。神ご自身の中に父と子の交わりがあります。父が子を愛し、子が父を愛し、聖霊の愛がそこに満ちています。そういうお方として、神は永遠から永遠まで存在しておられるのです。
 そのように愛に満ちあふれる神が、人間を愛することを決断してくださいました。このことも人知をはるかに越えることです。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して…」(エフェソ1・4)。人間が罪を犯したので、人間を愛する神は罪から救う働きを始めてくださいました。聖書は神の「救いの歴史」の書物です。父・子・聖霊の三位一体の神が人間を救うため、力を尽くして働いてくださっています。
 父なる神が、私たち人間の罪を赦すために、子なる神キリストを世に遣わされました。イエス・キリストは、十字架において私たちの罪のため死んでくださいました。父なる神は、主イエスを死から復活させることによって、私たちを罪から救う働きを成し遂げてくださいました。復活したキリストが昇天して父なる神のもとへ帰られると、父なる神のもとから聖霊が私たちに遣わされます。その聖霊の神が、子なる神であるイエス・キリストのことを本当によく教えてくださいます。
 信仰生活はがんばってすることではありません。私を愛してくださっている父・子・聖霊なる神を知り、その神の愛を豊かにいただき、神を心から愛していくことです。神の愛を思い巡らして生きるとき、神の愛に包まれているのです。神の愛を味わうとき、主イエスにならって生き始めることができるのです。
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