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2025年9月1日発行 No.687

いのちを考える

                            金田 佐久子


 日本における「バイオエシックス」(生命倫理)のパイオニアである木村利人先生が、8月8日~9日の日本基督教団埼玉地区教会全体修養会に講師として参加してくださいました。木村先生は現在91歳。はつらつとした素晴らしい笑顔でした。ご自分の体験と、その体験を信仰によりとらえ、考察し、かつ実践してきたことを語ってくださいました。講演1は「いのちの希望に生きる~戦争・平和・信仰」。講演2は「いのちの生き方、支え方、終わり方~あなた方は、キリストのもの~」。
「バイオエシックス」の語源は、ギリシャ語「ビオス」(いのち、生き物)と「エシィコス」(倫理、習俗)です。いのちや生き物に関してあらゆる分野を視野に入れながら、かけがえのないいのちの尊厳と人権を守ろうという意味が込められた言葉です。
 具体的には、遺伝子組み換え、人工妊娠中絶、出生前診断、体外受精、臓器移植、いのちの始期から終期、QOL、患者の権利、インフォームドコンセントの問題などを、一般市民、医師、法律家、行政官、学生、宗教者、社会・経済・政治の専門家等が参加し、協議し、合意形成し、提言します。
 木村先生の「バイオエシックス」の構想は、ベトナム戦争中、サイゴン大学で研究活動をしておられたとき(1970年から2年間)、教え子から「先生、海産物を食べすぎないように。野菜もよく煮て食べてください」と警告されたことによります。米軍が枯葉作戦として解放軍の農地に散布している猛毒のダイオキシンが原因で、出生障害児や死産も増えていること、汚染されていた食べ物を知らずに食べていたことに大きなショックを受けました。このことを契機に、木村先生は新しいいのちの学問となる「バイオエシックス」の発想、構想するに至りました。「バイオエシックス」の基本は「自己決定」。つまり、「自分のいのちは自分で決める。自分のいのちの主体は自分である」と。目の覚めるような響きでした。
 その根拠となるのは使徒パウロの言葉です。「すべては、あなたがたのもの…世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」(コリントの信徒への手紙一第3章21~23節)。
 考えることをしないですべてを神にお任せ、ではないのです。私たちキリスト者は、あくまでも自分のいのちについての決断を自分がするのです。その決断は、神によっていのちを与えられた存在としての「自己決定」です。神によって与えられた一人ひとりのかけがえのない大事ないのちが、誰かによって操作されることがあってはならない。それが、「自分のいのちの主体は自分である」という意味です。自分のいのちの管理者として、いのちのすべて、いのちの終わりについても備えをしていくことです。
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