4月12日(日) 礼拝順序

黙  祷
賛  美 327
主の祈り
交読詩編 詩編111篇
祈  祷
聖  書 マタイ28:1~10
使徒信条
説  教 「復活」
賛  美 333
献  金
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌)28

説教要旨 「復活」(マタイによる福音書第28章1~10節)

 イースターおめでとうございます。主イエスは生きておられ、共にいてくださいます。
 今、新型ウイルスという見えない敵と世界中が闘っています。日本はまだ何とか踏みとどまっていますが、ヨーロッパやアメリカでは死者が増えていて、死への不安、将来への不安に、世界が覆われているように見えます。
 二人の女性の弟子たちは、主イエスを慕い、墓に行ったのですが、主イエスが復活するということは全く信じていませんでした。福音を聞いて信じるまでは、人間の考えは「死んだら終わりだ、死の前に人間はどうすることもできない」というものです。この女性たちは、主イエスを慕いながらも、死んでしまったイエスに会いに行ったに過ぎないのです。彼女たちの姿は、死の前にどうすることもできない人間の姿を示していると思います。
 しかし、聖書は、そのような人間にこそ、「主イエスは復活された」と告げています。このことは既に主イエスが言っておられたのです。6節に「かねて言われていたとおり」とあります。主イエスは弟子たちに繰り返し、ご自分が捕らえられ、苦しみを受け、殺され、その後に復活することを語っておられました(マタイ16章21節、17章23節、20章19節、26章32節)。
 しかし、復活は、人間の理解を超えるものでした。この女性の弟子たちも、主の復活を信じて墓に行ったのではありません。神の言葉を聞いても信じないのは、人間の限界であり、不信仰という罪ですが、このような私たちに対して、神はご自分の救いの業を一つ一つ御心のままに準備してくださいました。主イエスは言われていたとおりに、死に打ち勝って復活されました。だから墓にはおられません。
 これは、私たちにとって希望です。神の言葉を信じない、死の前に無力な人間の現実に、「かねて言われていたとおりに」主の復活という出来事が起こる。神の出来事は向こうから私たちのところに届く。「主イエスがあなたがたより先にガリラヤに行かれる」。そのことも、主イエスがあらかじめ弟子たちに告げておられました(マタイ26章32節)。主がいつも先立ってくださる。理解ができず、無力で、み言葉を信じない私たちのために、主イエスは先立って御業を行ってくださり、恵みの出来事に私たちを招いてくださる。復活の出来事が、私たちにとって本当に喜ばしい知らせなのだと、この時にひしひしと感じています。
 女性の弟子たちは、まだ恐れは取り除かれませんでしたけれども、主イエスが言われていたことを思い起こし、大いに喜び、墓を後にしました。死の世界、人間の限界、不信仰、無力を後にした、ということです。み使いに言われたメッセージを握って、出発しました。そうしましたら、復活の主イエスが行く手に立って「おはよう」と言われました。女性の弟子たちは、足元にひれ伏した。復活の主イエスを礼拝しました。主イエスが自分たちを訪れてくださったという事実の前に、ひれ伏して、礼拝するしかない彼女たちでした。
 天使の言葉に重なるようにして、主イエスは「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい」と告げられました。主イエスは「わたしの兄弟たちに」と言っておられます。天使は「弟子たちに」と語りました。主イエスは弟子たちのことを「わたしの兄弟たち」と呼んでくださっています。主イエスは同じように、私たちを「わたしの兄弟姉妹たちよ」と呼んでくださる。信じます。