5月3日(日) 礼拝順序

黙  祷
賛  美   351
主の祈り
交読詩編 詩編103:1~13
祈  祷
聖  書  ヘブライ 1:5~14
使徒信条
説  教  「喜びの油を注ぎ」
賛  美  361
献  金
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌)26
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨 「喜びの油を注ぎ」(ヘブライ人への手紙第1章5~14節)

 ヘブライ人への手紙1章4節に「天使たち」が示されて、本日の聖書箇所にも天使について語られています。初代教会や教会の歴史においては、天使が人々にとって身近であったようです。こういう御言葉があります。「偽りの謙遜と天使礼拝にふける者…肉の思いによって根拠もなく思い上がっているだけで、頭であるキリストにしっかりと付いていない」(コロサイ2:18~19)。教会に、偽りの謙遜と天使礼拝という誘惑があったのです。三位一体の神よりも低い天使を礼拝することで「いかにも謙遜に生きている」という思い違いがあったようです。さすがに天使礼拝はしませんが、私たちの教会生活の中にも、偽りの謙遜が入り込むことがあります。神ならぬものを礼拝したり、一見謙遜なようで神の恵みを受けとらないという傲慢であったりすることがあります。信仰の逸脱の危機がありました。御子こそあがめられるべきお方であることを示すために、著者は、筆を尽くして、教会共同体に向かって書いています。
 今日の聖書箇所には、旧約聖書からの引用が7ヶ所あります。初代教会の聖書は今の旧約聖書です。神の約束が御子において実現したことを、教会は聖書から絶えず新たに受け取っていました。
 5節の「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」は詩編2篇7節からの引用です。やがてまことの王として来られる御子のための言葉であったのです。5節後半の「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」はサムエル記下7章14節の引用です。ダビデ、ソロモンの子孫から出た究極の王であるキリストの預言であったのです。
 6節の「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」は詩編97篇7節、7節の「神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする」は詩編104篇4節の引用です。神の御子は、天使たちから礼拝されるお方であり、天使たちは、神の働きにおいて風となり燃える炎となって仕える存在です。
 8節と9節にある「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」これは、詩編45篇7・8節の引用です。神は喜びの油を御子に注がれました。旧約聖書では、王、祭司、預言者が任職されるときに油が注がれます。「油注がれた者」はヘブライ語で「メシア」で、そのギリシア語は「キリスト」です。御子の油注ぎは、父なる神にとって大いなる喜びでした。御子は人々の罪を清められました(3節)。まことの王である御子は、十字架によって、不法に生きていた私たちの罪を清めてくださり、それによって義を貫き、復活され、今も生きておられ、神の右の座についておられます。御子のご支配は揺るぎなく、永遠です。
さらに「あなたの神は、喜びの油を、『あなたの仲間に注ぐよりも多く』あなたに注いだ」(9節)とあります。「あなたの仲間」とは、私たちであると理解してよいのです。私たち教会に生きる者たちにも、神は、喜んで油を注いでくださるのです(コリント二1:21~22参照)。御子ばかりでなく、私たちも神によって油を注がれています。私たちは御子の仲間とされ、神の大きな喜びの中へ引きずり込まれているのです。
 10節から12節には、詩編102篇26節から28節の引用があります。キリストがいつまでも生きておられ、その支配は変わることがないことを証しています。13節には、詩編110篇1節の引用があります。ここにもキリストのご支配が示されています。いろいろなことが起こりますけれども、それらは過ぎゆくもの、滅びるものです。私たちは決して、滅びることのない、変わらない、まことの王の支配に入れられ、喜びの油を注がれているのです。