5月24日(日) 礼拝順序

黙  祷
賛  美   409
主の祈り
交読詩編 詩編27:1~6
祈  祷
聖  書  使徒 1:1~11
使徒信条
説  教  「天に昇るキリスト」〔使徒信条による説教〕
賛  美  470
献  金
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌)29
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨 「天に昇るキリスト」(使徒言行録第1章1~11節)

 本日は使徒信条の「(キリストが)天に昇り」のところで、キリストの昇天の出来事を説教します。本日の聖書箇所においては、1-2節と9節と11節に「天に上げられた」と3回出てきます。11節には「天に行かれる」という表現もあります。キリストは天に上げられ、天におられます。
 復活された主イエスは、すぐ天に昇られたのではなくて、40日地上にとどまって、弟子たちと過ごし、神の国について語ってくださいました(3節)。この期間は、やがて、聖霊が降って始まるキリストの教会の歩みを先取りしていることになります。イエスご自身の宣教の時代と、教会の時代の橋渡しになっているのが、キリストの昇天の出来事になるわけです。イエス・キリストが天に昇られたゆえに、教会の時代が始まることになります。
 聖霊が降る約束を告げられ、主イエス・キリストは、天に上げられました(9節)。イエスが天に上げられたとき、神の使いが現れて、弟子たちに語りました。「なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(11節)。
 「天に行かれるのをあなたがたが見た有様」が、ルカによる福音書第24章50節、52節にあります。「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」。ギリシア語原文では手は複数形なので、イエスは両手を上げて弟子たちを祝福され、そのままのお姿で天に上げられたということです。私たちは祝福されている者です。天に上げられた主イエスは神の右の座についてくださいました。
 主イエスが天におられることが、大きな希望であることを改めて確認したいと思います。
 まず、主イエス・キリストが私たちのために常に、絶えずとりなしてくださいます。私たちは、キリストの御名によって祈っています。それは、キリストが私たちの祈りを、神にとりなしてくださるということです。キリストが天におられますから、私たちは天と結ばれているということです。
次に、私たちのための場所も天にあるということです。エフェソの信徒への手紙第1章20節・21節にこうあります。「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました」。キリストが天に昇られ、神の右の座について、すべてを治められることになりました。そして、同じエフェソの信徒への手紙第2章6節には、「(私たちを)キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました」とあります。私たちの場所は、キリストが天に昇られたことによって天にあるのです。
 私たちはなお地上にあって、このことが起こるのを待っている状態です。私たちはどのように生きるか、それが、コロサイの信徒への手紙第3章1節・2節にあります。「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」。私たちは上にあるものを求め、地上のものには心を引かれないようにして生きていきます。
 こういうわけで、キリストが天に昇られ、神の右の座についていてくださることは、私たちにとって大きな喜びなのです。