8月2日(日) 聖霊降臨節第10主日 礼拝順序

黙  祷
賛  美   544
主の祈り
交読詩編 詩編40:1~7
祈  祷
聖  書  ヘブライ人への手紙第5章11~第6章12節
使徒信条
説  教  「希望を持ち続けるために」
賛  美   475
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌)27
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨 「希望を持ち続けるために」

 「あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません」(11節)。この「耳」とは霊的な耳、信仰の耳を指しています。著者は、主イエス・キリストが神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたことについて、これからその恵みを語ろうというところで、本当に教会員にしっかり聞いてもらえるだろうか・・・とためらっているのです。霊の耳が鈍くなっているから、本来ならば一人前の大人になっているはずなのに、まだ乳を必要とする幼子のようだというのです(5章12~14節)。
 まだ若い頃、石垣島に旅行に行き、海に潜ったことがあります。泳ぎが苦手な私でも道具を着けて、砂浜から離れて十数メートルの深さまで潜り、美しいサンゴや熱帯魚を見ることができ、とても興奮したことを覚えています。砂浜から海を眺めていたときは、これほど美しい豊かな光景が広がっているとは思いませんでした。
 ヘブライ人への手紙の著者が語っているのは、そのような感じなのではないでしょうか。自分が到達しており、備えられている神の豊かな恵みの深みへ教会員を招きたいのです。あなたがたに大人になってほしい、大人になれるはずだ、と語っているのです。
 そして続けます。「だからわたしたちは・・・キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。神がお許しになるなら、そうすることにしましょう」(6章1~3節)。信仰生活は進歩する以外にないのです。教えの初歩を土台としますが、そこにとどまっていてはならないのです。神は必ず許してくださるのですから、成熟を目指して進んでいくのです。なぜなら、成熟を目指して進まなければ、堕落してしまうからです。
キリストの救いを受け、「天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験」(4~5節)するという恵みを受けたのに、教会から離れる人が出たのです。6節の「堕落」とは不品行な行いをすることではなくて、キリストの教会の信仰から離れることです。そのように堕落した人々は、焼かれてしまう(8節)、つまり、滅ぼされるという、大変厳しい言葉です。恐れを感じざるを得ません。
 著者はその厳しさを自覚していたので、9節で「しかし、愛する人たち」と呼びかけ、「こんなふうに話してはいても」と言い、「あなたがたについて、もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています」(9節)と語ります。確信の根拠は神の真実にあります。「神は不義な方ではない」から、「あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません」(10節)。救われて神のものとされた教会員が互いに仕え合って交わされた愛とその業は、必ず神に覚えられています。
 その神の真実に支えられて、私たちに求められているのは、「最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたい」(11節)。この熱心さとは、キリストを知ることに熱心であること、キリストを知ることに鈍くならないことです。キリストを常に慕い求めることです。そのとき、私たちは希望を持ち続けて生きることができます。さらに「あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしい」(12節)。私たちが見倣うべき信仰のお手本として、この後にはアブラハムが紹介されます(13節以下)。
 12節の「怠け者」と第5章11節の「鈍くなっている」はギリシア語の原文では同じ言葉です。怠け者とは何もしないことではなくて高ぶることです。自分を正しいとうぬぼれ、他人を見下す人です(ルカ18:9以下)。私たちはへりくだって神が備えてくださった恵みを受け取り、成熟を目指して進みましょう。